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映画イニシエーションラブについて。 ネタバレありです。 1.前田敦子...

nek********さん

2015/5/2708:23:11

映画イニシエーションラブについて。
ネタバレありです。





1.前田敦子がわざわざ今彼、元彼にそれぞれ同じエアジョーダンをプレゼントするのは無理がありませんか?
2.タッくん(大)

にわざわざ無理やりタッくんというあだ名を付ける必要はありましたか?(某アイドルのように大人数の名前を覚えるためなら使える術ですが、二人だったら忘れたり間違えたりってそんなにありませんよね?)
3.タッくん(大)に前田敦子は処女であると嘘をついていましたがこれも必要ありましたか?
4.タッくん(小)が理不尽に2度キレましたが、自分の非から来た、ただの八つ当たりですか?
5.見る前から身構えさせるCMと、あからさまな線状で、序盤タックのくだりで浮気、妊娠で同時進行別人のラストがわかってしまったのですが簡単すぎやしませんか?

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ino********さん

2015/5/2712:41:28

あくまで一素人の私見に過ぎないことをお断りしたうえで・・・(^_^;)
(一応、こちらも「以下、閲覧者ご注意」としておきます。)
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1.エアジョーダンのプレゼントの件:
「元彼」ってのはあくまで二人の「たっくん」を区別するための便宜的表現
ですよね?
(プレゼントをもらった時点では、まだ「元彼」じゃないですもんね。)
まあ、苦しいっちゃあ苦しいという気もします。
ただ、別の作者の別の作品ですけど、
「複数の男性と交際しててもボロが出ないよう、全ての交際相手に対して
同じプレゼントを要求していた」
(そしてひとつだけ手元に残しておき、残りは転売していた)
というパターンも知っていますので(もちろん?フィクションですよ)、
まあ、「ボロが出ないよう用心を重ねる」という点では賢明な方法だと
思いますし、
また、「作品の構成」としても、そういう「ヒロインの用心度」、
そして何より、「観客のミスディレクションを誘う手段」としては、
それなりに上手いアイデアではなかったかと思います。

2.二人目のカレシに「たっくん」と愛称をつける必要性について:
上記1でも触れましたが、「ボロが出ないように用心を重ねる」という
ことを考えれば、
「絶対必要」とまでは言わないまでも、「その方が賢明(ベター)」では
あると思います。
「二人だったら忘れたり間違えたりってそんなにありませんよね」との
ご見解ですが、
「うっかり(出ちゃう)」という危険性は、ゼロではないわけで。
(フィクションでのパターンとしては「寝言」なんてのもありますしな。
そこまではなかなか自分で制御出来ないでしょう。
そこを制御できるほどに精神鍛錬するくらいなら、
「二股の相手を、どちらも同じ愛称にしておく」という方が、はるかに
ラクなはずですし。)
実際問題、社会人の方の「たっくん」は、それやっちゃったわけですからね、
その点では「ヒロイン(?)の方が一枚上手だった」ってことです。
まあ、ミもフタもない話をすれば、原作小説は、「小説(文章)」であるが
ゆえに、
「同じ呼称」だと人物の見分けがつない(顏が出てるわけじゃないからね)
という点を利用した、
ある種の叙述トリックだったわけですんで、
「そこが、作品としての肝」(ココを外すわけには行かない)ということ
なわけですけど。

3.処女の件:
「必要性」って意味では、あんなウソつく意味あるかね?と思ったりも
するんですけど、
ただ、デブの「たっくん」に対して、
「男の人とつきあうの初めて」
と言ってしまっていたと思うんで、
それとの「つじつま合わせ」って意味では、ああ言うしかなかったんかなと
思います。

4.たっくん(社会人)の暴力について:
まあ、ぶっちゃけ「八つ当たり」ですわね。
(作品の構成という点から言えば、あっちの「たっくん」は、おそらく、
ああいう「キレる癖(?)」がもともとあり、
であるがゆえに、ヒロイン(?)は、もっとおとなしくて優しい交際相手を
求めたくなった・・・という流れなんだろうと思われます。)

5.トリック(?)について:
まあ、ずいぶん前ですけど原作小説読んでたんで、簡単だったかどうかは
判断つきかねますが・・・。
ただ、もし仮に「原作未読だったとしたら」、
私は「サイドB」へ移行したところで「アレは本当に別人」とは気づかな
かっただろうと思います(^_^;)
(そういうの、思い込み(先入観)で「してやられる」クチなのでw)
ただ、上でも触れましたけど、もともと(原作)は、
「文章であることを利用したトリック」
だったわけですので、
「それを映画で何とかしようとした」ということを考えれば、
まあ「ああ、そういう手で来ましたか、なるほどね」と評価(?)出来る
ものであったと思います。

以上、初めにお断りした通り、あくまで一素人の私見に過ぎませんが、
とりあえずご参考?まで(*^_^*)

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ベストアンサー以外の回答

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out********さん

2015/5/2904:26:00

小説も読んでいるのでややごっちゃになっているかもしれませんが・・・。

1と2は、まさに主人公(繭子)が用意周到に二股をかけている証拠だと思います。

特にふたりの相手を同じ呼び名にすることは「言い間違い」を防ぐ事ができます。
実際、夕樹との初めてのデートの時に呼び間違いをしそうになったのを「ズボンのタック…」とごまかした事から発想したのだと解釈できる部分があります。
また、この事は後の色々な出来事の伏線になっていて、例えば、辰也が繭子の事を新恋人の「美弥子」と呼び間違えた事が破局の決定打になっていたり、電話がかかってきたときにたとえどちらか分からない時でも「タックン?」と言える事によって、破局後に辰也が間違えて繭子に電話をかけた時に、夕樹だと思った繭子があまりに自然に「タックンでしょ?」といった事で、辰也はまだ繭子は自分からの電話を待っているのかという拭いようのない罪の意識に苛まれることになりました。

1もプレゼント内容を間違えないために同じものをプレゼントしたのだと思います。
ちなみに、「エアジョーダン」は映画版のオリジナルで小説には出てきません(小説では「財布とパスケース」)が、ダイエット宣言をした夕樹がジョギングによって社会人になったら痩せていたという解釈が可能になり、映画を観ている人達を騙す決定打になっている気がしています。
これは映画版の見事な脚色と言えるでしょう。

3は、繭子が夕樹に出会ったときは自身に妊娠の可能性が有ったので、それを避けるための予防策と解釈できないですかね?
もっと言えば、初めて夕樹と結ばれたのが中絶直後なので、出血などの可能性を逆手に取ったのではないでしょうか?←考えすぎかな?
まあ、相手を見てそういった方が良いと判断したとも思えます。

4は、単純にふたりのタックンが別人であるヒントを与えたのではないかと思います。このあたりは小説を読むと、辰也の人物像があまりにも夕樹の成長形とは思えない記述が多々あるので(私はそこで疑いを持ちました)、その流れで映画でも忠実に描かざるを得なかったのではないかと思います。
それに、辰也がキレたのは美弥子に打ち明けられ、繭子が妊娠の話を打ち明けてからだと思うので、辰也の心が離れつつある事を表現したかったのかもしれません。

5については個人差があると思いますが、もし小説を読んでいなかったら、私の場合は前述のとおり「エアジョーダン」で騙されていたかもしれません。
「タック」「数学科と物理学科」「男女7人秋物語」「アインシュタインの本」などヒントは多々あったのでしょうが、小説に比べると圧倒的に少なく、また映画は小説のように前に戻って読む事ができないので、鈍い私にはそんな簡単には見抜けなかったかもしれません。

いずれにしても、映画化不可能と言われたこの小説を映画にした事はたいへんな苦労が有ったのだろうと思います。

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