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中学校の教育実習で兵農分離(秀吉の太閤検地と刀狩)のところで授業研究を行うこと...

moc********さん

2015/6/718:19:24

中学校の教育実習で兵農分離(秀吉の太閤検地と刀狩)のところで授業研究を行うことになりました。中学生に教えるのに押さえておかなければいけない点を教えてください。

歴史を専攻してる訳ではないので分からなくて...
加えて授業をする際に、何かうんちく的なものがあれば教えていただきたいです。

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さん

2015/6/719:15:22

① 簡単に言うと秀吉が天下を統一したのだからこれからは戦争のない世になるはずである。
② 大名も戦争がないのだから武士の数は少なくても構わない。
③ これからは戦争がないのだから農民が刀や槍を持って自衛しなくても治安は保てる。


というような理屈で農民から刀や槍を取り上げたのが刀狩であり兵農分離でした。

ちなみに歴史は実際どう動いたか?

① 好戦派の武士や武将を抑えきれずに朝鮮へ出兵。戦国の名残がまだあった。
ちなみに明治政府も征韓論を唱えた西郷隆盛や江藤新平等がいた。
② 大阪の陣(夏と冬)で刀1本の出世を夢見た浪人たちが多数大阪へ終結した。(10万人くらい)
③ 江戸時代になり島原の乱に参加したものや由井正雪の乱で幕府を転覆しようとする勢力が江戸時代初期には存在した。これは豊臣恩顧の大名の改易政策を積極的に採用していたので一部浪人は不満を持っていた。

というように簡単に農民や浪人から武装解除や政府転覆の企みをなくした訳ではない。

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jij********さん

2015/6/719:45:57

秀吉の太閤検地と刀狩は、単に兵農分離が目的ではありません。目的は、日本に封建制度を確立することです。封建制度は、国主・国王(=秀吉)が諸侯(=大名)に封土(=領地)を分け与え、諸侯(=大名)は家臣に領地を分け与えるが、家臣と領民は諸侯(=大名)が統治するという制度です。つまり、国主(秀吉)⇒諸侯(=大名)⇒家臣・領民という一本の流れで日本全体を統治する制度の確立を目的としています。それまでの戦国の世では、農村には村を束ねる有力農民から派生した地侍がおり、その地侍が緩やかな主従関係を結んだ在地領主(小大名)がおり、それらの在地領主(小大名)の連合体の盟主が大名であるという関係でした。そして現代の税金に相当する年貢も農民は、まず地侍に納め、地侍はそこで一部を取り、それを在地領主に納め、在地領主も一部を取り、残りを大名に納めるという重層的な徴取方法になっていました。太閤検地は、これを改めて農民(=耕作者)が直接、大名と大名から領地を分け与えられた家臣に納めることにしたのです。これで先に述べた秀吉⇒大名⇒家臣・領民という統治の線が1本になったのです。さらに、刀狩は、前記によって排除された農民を束ねていた地侍をもとの農民に帰し、統治者である武士と被統治者である農民の身分を明確にするとともに、農民が武器をとって統治者である大名、武士に立ち向かうことのないようにしたのです。

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