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奴隷道徳(弱者のルサンチマン)について そもそも奴隷道徳の始まりは、イエス...

bz5********さん

2015/7/1600:20:53

奴隷道徳(弱者のルサンチマン)について

そもそも奴隷道徳の始まりは、イエス・キリストが殺されたその瞬間、
"弱者"が"悪"、"強者"が"善"

"強者"が"悪"、"弱者"が"善"、という価値観に
すり代わってしまった事が発端だと聞きました。

そしてキリスト教の拡大により
そういった思想がますます拡大してしまった、と。


しかし弱者のルサンチマンはキリスト教とほとんど関係がないはずの
日本人に多く見られる気がします。

私は海外を見てきたわけではないのですが、
日本人は嫉妬深い人が多い、と感じます。

例えばの話ですが、"東大生っていっても勉強だけできてもね、、、"
のような、発言です。もっと普遍的な例えで言うと、

"人間は顔じゃない"、この発言です。
これはまさに弱者のルサンチマンと言えるのではないでしょうか。

私自身も人間顔ではないとは思いますが、
イケメンになれるのであれば当然なります。


話を元に戻しますが、なぜキリスト教と関係ないはずの
多くの日本人が弱者のルサンチマンを抱いているのでしょうか?

弱者のルサンチマンというのはキリスト教関係なく、
人間の本性のようなものなのでしょうか?

また、弱者のルサンチマンは罪深い事だと思いますか?

補足ここで言う弱者のルサンチマンはニーチェのものだとお考えください

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ooh********さん

2015/7/1617:54:24

コペルニクスからニュートン、そしてダーウィンからヴィルヒョウの細胞分裂の確認に至った科学の躍動期の思想家ニーチェは、宗教改革からフランス革命でのヴァチカン支配から逃れようとしているプロテスタント牧師の子であり、如何にカトリック信仰を凌駕するかに挑んだ環境・時代の思想をバックにして強烈な思想を展開したのです。

だからカトリック信者達が奴隷道徳に囚われた由来の主張をした過ぎません、強者の嫉妬や負け惜しみは解消出来得ると、余りにも単純な断定をするばかりか、単なる想像上の復讐に依ってその埋め合わせをつけるような輩と罵ったのです。
元々ユダヤ教やキリスト教は、奴隷から独立するための民族団結への誓書を「聖書」として、神を象徴とした契約をし合ったものであり、その内では善悪・強弱の知識は悪しき原罪としており、イエスの贖罪への信仰に変わって、カトリックと謂う奴隷道徳に変わったことの指摘で、精神的に独立したのがプロテスタントだとの自負を主張したのです。

これに比べて日本は、江戸時代の幕府権力をバックにした皆仏教徒化に依って、権力・信仰への依存が進む一方で、悟りの思想も浸透しましたから、キリスト教徒が個人主張に進んだのに対して、社会全体への寄り付きを意識する日本仏教への個性化が強く進んだのであり、そこでは国民は全員が弱者で在り順応的なので「奴隷道徳」的であるのです。

個人の向上・個性の主張に向かうキリスト教文化に対して、社会への順応に向かう日本仏教文化は、「嫉妬や復讐、妬みや卑下」を常に超越すべき煩悩とする為「常に意識をしており」、かえって充満するケースも生まれるので、貴方には「日本人が弱者のルサンチマンを抱いている。」と観えるのでしょう。
カトリックと謂う奴隷道徳に変わった面と社会全体への寄り付きに進んだ日本の奴隷道徳は、根源で類似性が高い面もありますから、それへの罪深さは社会の状態で変わる倫理なのでしょうから、現在日本は激変期であり判定は出来ず、出来るものでもないでしょう。非常な激動での混沌の時代ですからね。

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osh********さん

2015/7/1608:56:09

アホクリの身勝手なすり替えや弁明の下は嫌なので引っ越しました。

多くの日本人が弱者のルサンチマンを抱いているのでしょうか?>個人の話と宗教の話は違います。
ニーチェはあくまで、弱者のルサンチマンに宗教的権威が与えられ、それが正当化された集団として存在してしまうことについて述べています。


弱者のルサンチマンというのはキリスト教関係なく、>いいえ。弱者の本性にキリスト教は神の権威を与えてかつ黙示録という復讐のストーリまで与え弱者を支配しました。
キリスト教は一見、弱弱しい弱者の神を崇拝していますが、その裏に旧約の神ヤハウェと黙示録が隠され、弱者の復讐心を持っています。
いわばジギルとハイドの神です。

弱者のルサンチマンは実は旧約聖書から始まっています・

御存じのように、ヤハウェは凶暴な神ですが、ユダヤ民族はアッシリアの属領とされ。バビロニアに捕囚されローマの属領になった弱小民族です。
その復讐心が凶暴なヤハウェの性格を作り出したのです。

人間の本性のようなものなのでしょうか?>弱者の本性です。

また、弱者のルサンチマンは罪深い事だと思いますか?>はい、それに神の権威が亜てえられたときとても罪深い行いを生み出しました。

キリスト教では弱者は大集団となって、強者に転換します。

そうして復讐劇を実行します。

そうして引き起こされたのがキリスト教の2000年にわたる殺戮の歴史です。

教会は最大の犯罪組織
http://home.hpo.net/hhhptdai/kyoukaihanzai.htm
キリスト教教会が史上最大の犯罪組織となり、何千万人もの人々を拷問したり殺したりしたのは不思議ではありません。キリスト教の源であり、今もなお、絶対的真実として信者に信じられている聖書には、こうした行為は神のみ心にかなったものと書いてあります。聖戦、十字軍遠征、異教徒の大虐殺、魔女の焼き殺し、拷問、他の民族の奴隷化や絶滅等はすべて、そもそも聖書に起源をもつものでした。(参照 http://www.hpo.net/users/hhhptdai/kami.htm)。そして虐殺を行う時、キリスト教指導者達は聖書に書かれているそうした行為を民衆に示しました。
四世紀の聖アンブロシウス(カトリックの四大教父の一人)はアリアン教という異教を信じていたゴート人を殺してほしかった時、ゴート人は旧約聖書のゴグ民族(ユダヤ人のライバル)と同じく神の目障りであると主張しました。

aim********さん

2015/7/1608:34:14

大衆日本人は昔から、”判官贔屓”、つまり頼朝に排撃された義経に肩を持ちますね。
引かれ者の小唄っていうのもあります。
正眼に構える生き方にちょいとレジストして、何かと斜めに構えたり聖性に横を向くことが多いですね。
嫉妬とか復讐とかいうのとはまた違うのでしょうが。

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ga_********さん

2015/7/1608:30:42

キリスト教と関係なく、普遍的な弱者の生存戦略だと思います。

yum********さん

2015/7/1608:23:32

人間の落ちた姿や嫉妬深さなんて人種問わず何所にでも在りますよ。

twe********さん

2015/7/1606:57:46

ニーチェは単に弱者のルサンチマン(負け惜しみ)が存在するっていったんじゃなくって、それを宗教にまでしてしまった、といって批判(おちょくり)したんじゃないの(?▽?)

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