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慶長年間(1596~1614)頃の陸奥地方の石高について

mik********さん

2008/2/1408:57:09

慶長年間(1596~1614)頃の陸奥地方の石高について

陸奥地方全体(福島県・宮城県・岩手県・青森県全域と、秋田県の一部)で167万2000石あった(慶長年間に)
らしいのですが、それぞれの地域別に見ると、どの程度の分配で石高があったのか教えて欲しいです。
例えば、現在の福島県で~石、岩手県で~石、というような形で。時代は多少前後しても構いません。
大体、1580~1600年辺りの年代に各東北の国々でどれくらいの生産高があったのか知りたいです。

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naz********さん

編集あり2008/2/1800:47:53

慶長3年(1598年)の検地における奥州(東北6県)の石高は陸奥国が167万2000石。出羽国が31万8000石。合計で約199万石でした。(学研の歴史群像シリーズより)
地域別を見ると福島県が文禄3年(1594年)の検地によると約85万2000石。(蒲生、岩城、相馬領の福島県内領。『福島県の歴史と風土』より)
次に宮城県ですが伊達政宗の領土が慶長3年(1598年)の頃、約58万石でしたがこのうち岩手県領の江刺、胆沢、気仙の3郡(約8万7000石)、福島県領の宇多郡の1部(5000石)および上杉領であった宮城県領の苅田郡(約2万石)をプラスマイナスすると宮城県の石高は約50万8000石となります。
岩手、青森県領は上記の計算より陸奥国の残り約31万石となりますが伊達領(約8万7000石)のほか津軽氏と南部氏で約15万石であったこと以外、配分についてはわかりませんでした。推定では岩手県が約18~19万石(南部領10万石と伊達領)
青森県が残りの約11~12万石となります。
出羽国(山形、秋田県)領については検地高31万8000石に対して出羽国に配置された大名の石高が検地高を上回るため詳細不明です。

質問した人からのコメント

2008/2/20 12:32:46

降参 御三方とも参考になりました。ありがとうございました。

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bos********さん

2008/2/1518:45:12

関ヶ原の戦いの直前をみますと…上杉景勝が陸奥会津74万石。南部利直は陸奥盛岡10万石。津軽為信が陸奥堀越4万5000石。岩城貞隆が陸奥磐城平12万石。相馬義胤が陸奥牛越6万石。難しいのが伊達政宗の58万5000石でほとんどが宮城県ですが胆沢・江刺と岩手県の領地もあり、わずかですが福島県もあったと思われます。以上から福島県が約95万石、宮城県が約55万石、青森県が約5万石、岩手県が約10万石。一部の秋田県を足してだいたい165万石~170万石だと推測されます。正確な数字は出ませんでした、スイマセン

2008/2/1411:34:38

関が原のころの石高で言うと、
津軽+南部(青森+岩手)は、17万石(津軽5・南部10など)とみなされていました。
ただし、岩手県南部は伊達領です。
尚、江戸中期には津軽八万石(後十万石)、南部二十万石と改定されます。

関が原後の伊達政宗の石高が奥州のみですと約60万石です。
伊達領は、宮城県全域と岩手県南部、福島県の新地町となります。
(2~3万石は北関東や近江に所領があります)


問題は福島県で、諸藩が度々栄枯盛衰した為、はっきりとはしませんが、諸藩合計65万石程度あったと思われます。
このほかに、天領が相当あったと推定できますが、わかりませんでした。

ちなみに、陸奥国167万石は豊臣秀吉が行った太閤検地によります。

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