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織田信長が上総守、上総介を名乗った理由について教えてください。

usai21さん

2015/7/2316:16:21

織田信長が上総守、上総介を名乗った理由について教えてください。

何で一度間違えてカミを名乗ってしまったのか、またなぜ国名が上総なのかについて教えてください。

推察するに、、、
信長「今川家の歴代当主は上総介らしい。周囲に上総守を名乗る武家も居ないし上総守を名乗れば優位性をアピールできるんじゃないか?さっそく署名しちゃおう。」
故実に詳しい人「信長さま。上総は親王任国ですけど…」
信長「(赤面)」
みたいなことなんでしょうか。

それとも平氏を仮冒していただけに坂東平氏に由来しそうな関東の国名を使いたかっただけでしょうか。

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chi********さん

2015/7/2318:08:26

かなり手ごわい質問で・・・親王任国とか仮冒などと。
まあ、そんなところでしょう。私称ですので。
上野守を名乗った武将は上野・小幡氏に複数います(群馬県甘楽町・歴史民俗資料館)し、常陸守も飛騨の戦国武将江間氏や薩摩の肝属氏系にいます。
>坂東平氏に由来しそうな関東の国名を使いたかった・・・
うーん≒(ほとんど)脱帽です。武家の聖地鎌倉・関東で、常陸でも上野でも下野でも、清和源氏・秀郷流藤原氏が大勢力で、下総でも里見・土岐・武田などの源氏が、たしかに主流でした。

質問した人からのコメント

2015/7/29 21:40:48

ありがとうございました。

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2015/7/2711:33:26

桓武平氏の祖である高望王は、平姓を賜った直後、上総介に任官し、家族ごと任地に下向します。これが「坂東平氏」のはじまりです。長男の国香・次男の良兼、また五男良文の孫で、「平忠常の乱」で教科書にも載っている忠常も、上総介を名乗りました。つまり、坂東平氏にとって「上総介」は、一族の総領格であるという意味合いの由緒ある肩書きだった、といえるようです。
源頼朝の挙兵の際、けっこう遅れて参陣してきたのにやたら態度がデカく、のちに梶原景時に誅殺された「上総介広常」という人物がいます。本名は平広常ですが、北条とか三浦とかいった「苗字」を名乗っていないんですね。だから便宜上「上総介氏」とか「上総氏」とか言われることがありますが、要は「オレはこのあたりの平氏の棟梁なのだから、苗字を名乗る必要はない、源頼朝が源氏の棟梁だというなら、同格だ」くらいのプライドを持っていた、ってことだと思います。
こののち、上総介の肩書きは足利一門の吉良長氏が名乗り、そのまた分家の今川氏に代々受け継がれて戦国時代にいたるわけですが、信長が(成り行きで)平氏を名乗った際、「源氏である今川が、平氏にとって由緒ある上総介を名乗っているのは筋違いである」的な対抗心を燃やしたのではないか、と思われます。最初「上総守」と名乗ってしまったのは、ちょっとした勘違いかも知れませんし、「親王任国なんてどうでもいいじゃん」と若毛の至りで思い込んだのかも知れません。しかし、「平氏の第一人者」を標榜するなら、高望王と同じ「上総介」でないと意味がないわけですから、あとで勝手に修正した、というところではないかと想像します。

bir********さん

2015/7/2319:45:48

征夷大将軍・足利義輝に拝謁しに
京都へ織田信長は行きました、
桶狭間の合戦より、ちょっと前。
このとき織田信長は尾張守の任官を
希望したがダメだったらしい。
それで上総介を いただいた、と
いうことだそうです。
織田信長が尾張守を希望して
成ったのは足利義輝が松永に討たれた
後だったそうです。
義輝の実弟の足利義昭が織田信長に
兄の仇の松永を討てと要望しても
織田信長が全く応じなかったのは、
そのへんの事情あるかも。
つまり織田信長と足利義輝は仲が
良好とは、いいがたかったのか。

sto********さん

2015/7/2319:34:42

こんばんは。
以前に紹介させていただいた記憶があるのですが、「中世武家官位の研究」木下聡著 (吉川弘文館)が回答に成り得る書籍だと思います。

史学雑誌の「史林」「古文書研究」にも書評が記載されていますが、ウェブ上の書評ですが、下記のUPLであれば宜しいかと思いますので貼り付けておきますね。

http://www.l.u-tokyo.ac.jp/postgraduate/database/2009/666.html

何せ二万近い高額な書籍ですので、図書館で探すことをお勧め致します。

質問にある上総守の記載については下記の通りです。

天文二十三年(1554年)十一月十六日
上総守(織田信長)祖父江五郎右衛門へ俵小船1艘の諸役免除を安堵。
『氷室和子氏所蔵文書』、『津嶋神社旧記』、『張州雑誌抄』二十三

尚『信長公記』首巻ではこの時期の信長は上総介と記されています。

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2015/7/2317:04:37

奇妙丸、五徳姫、鍋姫・・・と、彼のネーミングセンスは、ちょっと独特です。
顔立ち、その場で、目に入ったもの・・・などかなり適当です。

上総がどこにあって、誰の管理かなんて、どうでもよかったと思います。
ちなみに、お金を出して官命をもらったわけではなく、勝手な名乗りです。
弾正忠のときは、お金出したみたいです。

信忠の「秋田城介」も、適当だと思います。

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