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土用の丑の日に鰻を食べるようになったのはどうしてですか?

sho********さん

2015/7/2419:28:05

土用の丑の日に鰻を食べるようになったのはどうしてですか?

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bln********さん

2015/7/2419:29:48

一説には平賀源内が絡んでいる説が有ります。

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min********さん

2015/7/2422:40:44

元々は『鰻』では無くて『うの付く長い物』

暑さも盛りの土用の丑には『うの付く長い物』を飲み込んで(食べて)暑さに負けない様に、との縁起担ぎが平安時代ごろからあり、うの付く長い物ですから、鰻以外にもどじょうとかうどんとかが食べられていましたが、それが鰻に集約されたのは江戸の後期、奇才平賀源内が鰻屋の主人に頼まれ、土用の丑には『鰻あり□』との看板を掲げろとアイディアを出して、それが洒落好きの江戸庶民に受けたからだと言われています(o^-^o)

実際に東京の地は幕府が開かれる以前は緑に囲まれた沼沢地で、鰻は土地の名産であり手軽な食材、ただし鰻の旬は冬場でしたし、夏の暑い時期に脂っこくて旬も外れた魚は不人気だったので、それを挽回する為の窮余の策だった訳です

si7********さん

2015/7/2422:23:58

栄養状態が現代よりよろしくなかった時代に、たまに食べる動物性
蛋白質が夏バテ防止に効き目があったからだと存じます。
何しろ、万葉集にもそういう和歌が載っているくらいですからね。

痩人(やせひと)をあざける歌二首(大伴家持)

石麻呂に吾(あれ)もの申す夏やせによしといふ物そむなぎ取り食(め)せ(3853)
痩す痩すも生けらば在らむをはたやはたむなぎを捕ると川に流るな(3854)

土用の丑の日の宣伝に一役買ったのは平賀源内または蜀山人(大田南畝)
と言われているようで…。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E7%94%A8%E3%81%AE%E4%B8%91%...

a35********さん

2015/7/2419:31:49

江戸時代に平賀源内が考案しました。

うなぎの旬は、冬なので、夏場は売れなくうなぎ屋から相談されました。

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