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「火垂るの墓」で、おばさんの家に居候中、清太が働きに出なかった理由は何だった...

chi********さん

2015/8/1500:54:08

「火垂るの墓」で、おばさんの家に居候中、清太が働きに出なかった理由は何だったのでしょう?作中で明示されていましたか? おばさんとの会話で、「学校は焼けてしまったから行ってもどうしようもない」ということ

は出ていましたが、工場等に勤労に出ない理由は特に何も言われていませんよね?

働くなり手伝いなりして、苦しくても耐えておばさんの家に家に留まっていれば二人は生き伸びれたのではないか……と思い苦しいです。

節子と接している時の清太は、「兄」というより「親」のような、戦時中の青年の独特の雰囲気があり、年齢以上にとてもしっかりしているような印象を受けます。
その反面、ニート化して一日中ブラブラしているようなところが、理解できません。

節子が心配で心配でたまらないから働きに出たくない……というようなことを言及する描写はありましたか?

(今日の放送は途中までしか観ていないので……)

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map********さん

2015/8/1720:53:19

映画の作中では働きに出なかった理由は明示されていないと思います。人それぞれの解釈があると思われる映画ですが、私は経済的に裕福に育ったプライドの高い兄妹が戦時中の食べる物も不自由な時期にも生活水準を落とせない怖い話だな…と思いました。

そもそも、いろんな戦争体験を子どもの頃から祖父や祖母、父母から聞いてきましたが、戦時中に白米に拘っている子どもの姿には疑問が沸きます。当時、終戦間際に白米とか食べれなかったのでは無いでしょうか…。
親が残していたお金もそれなりにありましたから、お坊っちゃんだった事を裏付けます。
また節子に何が食べたいか聞いた時、「天ぷらにお造りにところてん、アイスクリーム」と名言が出た時も、当時の4歳の口からすっと出てくるぐらいですから。

働きもせず、母さんの着物と交換した白米を出さんか!バリに食って掛かるような兄妹が居候していたら、そりゃあ、おばさんも辛辣になると思います。

おばさんは居候なりに育ち盛りの兄に働いて欲しくて、言葉強く言ってたんだと思いますが、兄はその言葉さえも耐えられなく、止せば良いのに幼い4歳女児を連れて家を出てしまう…。
この時点で嫌な予感しかしないです。
劣悪な環境下に節子を起き、親の残したらお金を大事な事に活かせず、畑泥棒や、空襲泥棒と化す。
農家も家族も養って行かなくてはいけなく皆必死で生きているのに、楽な泥棒を選んでしまいます。
配給が貰える所で生活をしていたら…
家の中で畳の上で寝ていたら…
節子も死なずに済んだでしょうね。
空襲で人の家が燃えてる中「いぇい‼」とか言ってる兄の姿を見て感慨深い物を感じました。
価値観崩壊…その全てを含め、戦争は悲惨であると思いましたが。
火垂るの墓は原作者の野坂昭如さんの戦災体験ですが、実際の話、清太である野坂さんは妹の食料を食べて妹が餓死してしまった事による償いのために書いた話だと聞いたことがあります。
映画では清太が真面目で良い人の様に描かれていますが、本当はそうでは無いと本人も言う様に、本当の話の方がもっと悲惨で、食べ物への執着と生きる執着がリアルだったと思います。

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ewr********さん

2015/8/2200:35:56

回答になっていなくてすみません


私も疑問に思っていました

おばさんは意地悪だ、おばさんは悪い人、という意見をよく聞きますが、
はっきり言って厄介者扱いされても仕方がないような気がします

働かないならせめて家の事を手伝うとか、とにかく何かやればよかったのにと

普段はしっかりした男の子なので、尚更疑問です

妹のそばにいたいと言っても、状況が状況ですし

jej********さん

編集あり2015/8/1900:15:16

私も質問主さんと同じようなことを疑問に思ったことがあります。少し見ただけでも泣けてしまうので、あまり見たくはないと思いつつ、大人になってから見ると子供のころ見たときとは違う見方ができ、作った人たちが訴えていること、どうしたら生き残れたのか、どうすべきだったのか、そううまくは生きられない現実などを考えさせられました。

働きに行かなかった理由は伯母さんに何故働きに行かないのかと問われた後に答えていたと思います。
勤労動員先の神戸製鋼の工場が空襲でめちゃめちゃになった。
節子の面倒を見なくてはいけない。

しかし、そのシーンでも甲斐甲斐しく節子の面倒を見てるというより、オルガンを弾いたり、寝そべったり、これから先どーして生きていったらいいか分からない、というようなかんじですね。
裕福な家庭で育ち、苦労を知らず、軍人の息子として誇り高く育てられ、父が帰ってきてくれるのをただ待っていたんだと思います。
伯母さんに苦言を言われ、耐えきれずに家を飛び出した後に、おじいさんに頭を下げて、もう一度家に戻れと言われてもプライドが許さなかったのは、軍人の息子として育ったプライドや、若さゆえ、生き残るスベを知らなかったんだと思います。彼にもっと身内の母親か祖母でもいれば、うまく諭したり、彼も耳を傾けれたかもで、間を取り持つこともできたかもしれないなと思ったりです。

高畑監督が反戦映画と言われるのを毛嫌う、肥大したプライドを抱えて尊大に振る舞う現代の若者そのもの、と言われていたとのこと。現代の、と言われると昔の戦争の映画なのにと思っていましたが、現代の私たちが実際あの年頃に、妹を見ながら、どんな嫌みな伯母さんであっても居候である身なのだから伯母さんや家族に気を使ったり、何か家事や掃除を手伝ったり、働きに行くにはどうしたらいいか率先的に聞いたり、できることを探したり、そういうことができるのかといえば、難しいなと思いました。
現代社会にも通じる何かを訴えているとすれば、プライドでは食べていけないわけで、社会で生き残るためには生きるスベを磨かなきゃいけないのかなと私は勝手に思ったりです。

fun********さん

2015/8/1814:27:37

夫と冒頭そんな話になって、意識しながら観ていたのですが、一度だけおばさんとの会話の中で、セイタがあまり健康体ではないといった趣旨のシーンがありました。

返信を取り消しますが
よろしいですか?

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mmg********さん

2015/8/1801:49:30

常に妹の側にいたいからが理由ではなかったですっけ?

でももう4歳なら一人でお留守番を出来ない年齢ではないですよね。
私は幼稚園から帰ると、親が仕事から帰ってくるまでの間、家で一人でテレビ見たりして過ごしてましたし、可能と言えば可能です。

あの少年はお坊ちゃま育ちだから(カルピスだとかお造りだとか天麩羅だとか元々は金持ちの家の子供だと推測される)
我武者羅になって汗水たらして働く勤勉さは持ち合わせて無かったのでしょう。

yak********さん

2015/8/1719:17:23

冒頭の空襲のシーンではテキパキ庭に食料を埋めたり母に先に行くように言ったり、空襲で包帯ぐるぐるの母の心臓が悪いから薬をくださいと言ったり、しっかりしてる印象です。たぶん母の体が弱いこともあって父親からしっかり頼むぞ、と言われていたんだなと思えます。その母親が死んでしまったことで、清太の心にはぽっかり穴があいてしまったのではないでしょうか。そう思うと、そんなでありながらおばさんに嫌味を言われてもやり返したりせず、節子を諭したりあやしたり精一杯やったと思います。

忘れてならないのは、清太は母親の悲惨な死を一人で向かい合い、その心中いかばかりかということです。心が外に向かわず、何をどう受け止めていいかわからない。唯一心許せる節子と一緒にいたいと無意識に思ったのかもしれません(横穴で節子を抱きしめて兄ちゃん苦しいといわれるシーンにも表れてると思います)。悲しみを分かち合うには節子が幼すぎるということも清太にとってはかわいそうだったかもしれません。
節子に言わないでいたのは、節子のためというより、言えば母の死が現実になってしまうという感覚があったのだと思います。だから節子が「おばさんから聞いて知ってる」と言った時初めて、あんなに涙があふれてきたのだと思います。
(あのおばさんの性格では清太が労働のためにいなければいないで、日中節子が嫌味攻撃される可能性は大です)

また、清太にとっては一時的なものという認識があったというか、子供のころ観艦式をみたり海軍の父親を誇りに思っていたり「日本が負けるわけない」という思いもあったりで、いずれ父親が帰ってきたら元の暮らしに戻るんだ…という感覚があったのかなと思いました。だから嫌味もやりすごし我慢た。そもそも、お互い焼け出されたりしたら身を寄せるという約束はあったものの、そこでどういうルールで暮らすかなどと細かいことは想定してなくて「なんかあったら西宮のおばさんのとこへ」としか聞いてなかった感じですよね。母が生きてて一緒にいれば大人同士の取り決めのもとで清太も節子も暮して行けたと思います。けれども母がいないつまり唯一の大人はあのおばさんだけで、一方的に清太をなじってましたが清太は自分の住んでいたコミュニティと切り離されているわけで、その意味でも正直どうしていいかわからなかったと思います。学校も勤労奉仕してた工場も焼けてしまったと言ってますね。そしたらあのおばさんがいろいろ口をきいてあげるとか、なにかとっかかりを作るべきだったと思います。もし母方の親戚の住所がわかっていたら清太もそちらに連絡をとったとも思います。

母親をみとったばかりの清太に対してあまりにも思いやりに欠けたおばさんだと思います。そもそもが「夫と清太の父がいとこ同士」というのはほとんど他人なわけです。でも、だとしても一人の大人としてはどうだろうと思います。もし清太の父親が生きていたら、どう言い訳するつもりだったのだろうと思います。

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