マリーアントワネットの子供に、父親がフェルゼンといううわさがあったと聞きます。 それは、どのくらい真実味がありますか?また、その子は誰ですか?

マリーアントワネットの子供に、父親がフェルゼンといううわさがあったと聞きます。 それは、どのくらい真実味がありますか?また、その子は誰ですか?

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第3子・次男のルイ・シャルル(※ルイ17世・1785-1795年)です。 1774年9月4日、スウェーデン貴族フェルセン伯爵は、駐仏スウェーデン大使クル-ツ伯爵と共にヴェルサイユ宮殿で開かれた舞踏会に出席して、フランス王室の人々から好印象を持って迎えられ、この舞踏会で初めてマリーアントワネットと出会います。 そして、半年後の1775年1月30日、パリ・オペラ座の仮面舞踏会で運命的な再会を果たした同い年の2人は、互いに惹かれ合い、その関係は拡散して噂が広まります マリーアントワネットは誰の目から見ても、フェルセンに夢中になっているのは明らかでした。 一方のフェルセンは、慎重で王妃に迷惑が掛からなうようにと、フランス遠征軍に加わり、アメリカ独立戦争に参戦して、4年間を外国で暮らします。 その間、2人は暗号化した手紙で交流を交わし続けます。 そして、外国での暮らしに耐えられなくなったフェルセンは、1783年6月に再びパリに戻ってきます。 フェルセンの留守中に王太子を出産していたマリーアントワネットは、後継者を生んだという責務を果たした事で安堵して、再びフェルセンとの恋に夢中になっていきます。 そしてフェルセンは、1784年6月にもヴェルサイユを再訪して、それから…9ヵ月後にマリーアントワネットは、ルイ・シャルル(※後のルイ17世)を出産しています。 そのシャルルは、「フェルセンの子供ではないのか…?」という根強い噂があります。 ルイ16世もシャルルが誕生した時に不可解な言葉を日記に残しています。 『王妃、ノルマンディ公を出産。全て我が王子と同様に取り扱う。』 実際、ルイ16世がシャルルの事を『わが子』と呼んだのは、たったの1度、断頭台に向う直前の事でした。 また、僅か10歳のルイ・シャルルが獄中で幼い命を落とした事を知ったフェルセンは、『あの子はフランスに残してきた最後の、そしてたった1つの心配事だった』と言い残しています。 2000年4月19日にマリーアントワネットとルイ・シャルルの母子鑑定は証明されています。 しかし、ルイ16世との父子鑑定は未証明のままです。 ルイ16世とフェルセンの不可解な言葉をどう解釈するかです。 個人的には、謎を秘めたままの50%でロマンがあって良いかと思います。 ■マリーアントワネット物語 http://x22.peps.jp/antoinette1755

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