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高1 現代文 志賀直哉の 城の崎にて についてです。本文ラストの、「三週間いて、自...

gra********さん

2015/11/2920:02:31

高1 現代文 志賀直哉の 城の崎にて についてです。本文ラストの、「三週間いて、自分はここを去った。それから、もう三年以上になる。自分は脊椎カリエスになるだけは助かった」という文は何を暗示しているので

すか?彼は生死についての結論が出たのでスッキリして帰ったのでしょうか?それともよくわからなくなって帰ったのでしょうか?なぜわざわざ、無駄のない文体に「それから、もう三年以上になる」という文を入れたのでしょうか?教えてください。

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ベストアンサーに選ばれた回答

drd********さん

2015/12/618:18:22

「三週間いて、自分はここを去った。それから、もう三年以上になる。自分は脊椎カリエスになるだけは助かった」

この文章における「自分」の気持ちは本文中には書いてありません。
よって、三年経ってスッキリした、とも言えますし、よくわからない(=モヤモヤ)とも考えられます。そこは読者が想像しなくてはいけないところです。
しかしながら定説としては後者のようです。

ちなみに、三年が経ったのは帰った後なので、「自分は脊椎カリエスになるだけは助かった」は城の崎で思ったことではないです。
城の崎を予定より早く離れた理由は、「三匹の動物の死を体験させ『生きていることと死んでいることとにそれほどに差はないような気』にさせられ、またそのような気分に自分を誘うこの場所から離れたくなったから」です。余談ですが...
では本題に。

◎三年経ってスッキリしたと考える
冒頭部分に「二、三年で出なければ後は心配いらない」とあるが、最後に「それから、もう三年以上になる」という文を入れることによって、三年以上経ってもなんともないから、もうこれで心配いらない、よかった〜。っていう安堵の気持ちを表している。と考えることができます。

◎三年経ってもモヤモヤしたと考える
注目すべきは、この文章であえて『だけは』という表現を用いているところです。
この旅で生と死が両極でないことを知ってしまった自分は、今 回 だ け は 脊椎カリエスでは死ななかったけれど、いつかはなんらかの死に方で死ぬんだ。っていう寂しい気持ち(モヤモヤした気持ち)を表している。とも考えることができます。

僕は寂しさを感じたのですが...質問者さんはどう考えますか?
長文失礼しました。

質問した人からのコメント

2015/12/7 00:35:34

な、なるほど!!!!!!
僕は後者の説に「あぁなるほど!」となりました!!!志賀直哉、奥が深いですね、、、ありがとうございました(๑• ㅁ• ๑)✧

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

mat********さん

2015/11/3000:34:05

3年の間、
いつ死んでもおかしくない
と思いながら暮らしてきたけど、
発病しなかったからもう大丈夫。
ああいろいろあった3年間だけど
脊椎カリエスで死ぬのだけは免れた。
とりあえず良かった助かった。
という心情を素直に書いてるだけで
何かを暗示している訳ではないのでは。

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