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日本軍は米英と戦うよりドイツ軍と一緒にソ連軍を挟み撃ちにした方がよかったので...

家族と音楽が嫌いさん

2015/12/920:05:29

日本軍は米英と戦うよりドイツ軍と一緒にソ連軍を挟み撃ちにした方がよかったのでは?

大日本帝国が米英により追い詰められて真珠湾攻撃に至った過程を再考してもらいたい。1941年当時、イギリスはナチス・ドイツ軍の攻撃を受けてアップアップの状態だった。頼みとしていたフランスはすでに降伏し、共産主義のソ連を援助していたが、ソ連も同様にドイツ軍の電撃戦により追い詰められていた。そして、ロンドンを始めとするイギリス南部の都市はドイツ空軍の空襲で破壊されつつあった。

そこで、イギリスのチャーチル内閣が考えたのは、ドイツの同盟国である大日本帝国を刺激、挑発して日本を戦争に引き込み、それにより、巨大な軍事力を持つアメリカの参戦を確実なものにしようという外交政策だった。アメリカの参戦のためにこのような外交をしなければならなかったのは、第二次大戦が1939年9月に始まり、フランスが翌年6月に降伏したのに、アメリカ国民の多くが参戦に反対していたからである。

アメリカ国民の過半数以上はイギリス、ソ連が追い詰められていても、参戦には反対だった。
「たとえ、イギリスがドイツ軍に占領されても、中国が日本軍に占領されても、アメリカがそんなに困ることはないし、共産主義のソ連を助けるために税金を使うのは反対なので、アメリカは新大陸(北米、南米、オセアニアなど)のリーダーとして繁栄できれば、それで満足だ。旧大陸(ユーラシア大陸)の戦争にアメリカ軍が参加するべきではない。多くの若者たちが、他国のために戦死するのはおかしい」
というアメリカ人もいたようである。

このアメリカ国民の意見を180度転換させたのが、真珠湾攻撃だった。
「有色人種の日本人どもが宣戦布告もなしに、突然、米軍基地を攻撃した。黄色いサルがアメリカを占領しようとしている!アメリカ人は断固戦うぞ!」
という意見が、アメリカでは主流になった。ちなみに、2001年9月11日のテロ攻撃の後も、よくアメリカでは、
「テロリストどもは真珠湾攻撃のように、何の警告もなしに攻撃をしかけきた」
と、報道されたようである。


だが、この真珠湾攻撃に至る過程をよく再考してもらいたい。イギリス、ソ連は、ドイツ軍の攻撃で追い詰められていたので、アメリカという巨大な国に頼ったのであり、それを逆手に取るなら、日本軍はドイツ軍との共同作戦を行うべきだったのではないだろうか?

日米開戦の前に起こった、非常に興味深い事実がある。ドイツを訪問してヒトラーと会談し、さらに、ドイツ軍の卓越した電撃戦理論、戦車部隊の強さを認識した松岡洋右外相は、ドイツ軍がソ連に侵攻した直後に、天皇に対して、
「日本も早くソ連と開戦するべきです。そうすれば、アメリカも何も言えなくなります」
と進言した。だが、天皇は、ノモンハン事件で日本軍がソ連軍に大敗し、その直後に陸軍幹部が、
「ソ連軍はスターリンの指導の下、強力な軍隊を作っているので、今後、ソ連軍とは戦えません」
と発言したことをよく覚えており、松岡をきつく叱ったという。その後、ソ連との開戦という意見を言う者は、日本政府内ではいなくなったようである。

しかし、その一方、ドイツ軍がソ連と開戦した直後に、満州の関東軍は、「関東軍特種演習」という名目で多数の部隊をソ連国境に集結させていた。そして、スキがあらばソ連領内に攻め込むつもりだった。だが、ソ連軍の防御が堅かったので、断念したのだった。


しかし、米英連合軍との開戦と、ドイツ軍とソ連を挟み撃ちにするということの2つを、よくよく熟考してもらいたい。どちらの方が勝機があるか?普通に考えれば、ドイツ軍に追い詰められているソ連軍と戦う方が、勝てるチャンスはあるだろう。しかも、アメリカという巨大国家を敵に回さずにすむのである。

だが、日ソ開戦というアイデアは、あまりにも現実離れしていると反論する人も多いだろう。
「当時の外交状況を考えれば、日ソ開戦なんてあり得ない。東條内閣の閣議で南方進出は決まっていて天皇もそれを支持していたので、ソ連攻撃というのは、仮想(火葬)戦記並みのプランだ」
と、反論する人はいるだろう。しかし、米英とガチンコの勝負をするか、ドイツと共同でソ連を攻撃するか、どちらの方が勝つ可能性があるかということを、純粋に軍事的に考えれば、後者の方が可能性は高いに決まっている。

補足ちょっと質問に補足します。

ソ連軍とシベリアで戦うに兵力不足という意見が多く、僕もそれには賛同しますが、シベリアのソ連軍と戦うのに兵力不足なら、米英軍と太平洋とアジアで戦うのはもっと無理ではないでしょうか?

ドイツ軍,ソ連,ソ連軍,挟み撃ち,日本軍,真珠湾攻撃,ヒトラー

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cap********さん

2015/12/1000:56:12

チャーチル『ソ連に攻め込んでいれば、第二次世界大戦において日本が勝者になる唯一にして最大の好機だった』と戦後、回想している。

起こっていないことなので素人の予想でしかないのですが・・・。

まず同盟国が弱かったら話になりませんからドイツが何処までソ連相手にやったかと言いますと、ソ連に雪崩れ込んだドイツ軍が7月16日スモレンスクを占領したとき、次の目標はモスクワまで220kmの地点のウジャマだった。この時点でモスクワ陥落はほぼ確定的だったが、不可解なことにヒトラーはストップさせた。軍部の意見とヒトラーは真っ向から対立したが、ヒトラーはモスクワ攻略を中止した。

その後、1941年12月初、モスクワまで16kmに迫っていたドイツ軍は新たに出現したソ連極東軍団に押し戻されて退却に転じた。

ドイツだけでもここまでやっているわけです。

つまり日本は少しコズいてこのソ連最強(多分)のソ連極東軍団40万(人数はうろ覚え)を極東に張り付けておくだけで良かったのです。ところがゾルゲなどのスパイが入り込んでいたので南進の情報が漏れちゃったのです。あとスパイは元朝日新聞の尾崎秀実←これだけは言わして下さい(笑)

ソ連極東軍団がいないことくらい察知していただろうから、ズルくいなくなってから侵入するだけでも良かった。石油なんかドイツが占領したところから分けてもらって、シベリア鉄道で運ぶと。運べるか知りませんけど(笑)

歴史が変わっちゃったんですね。日本が北進していればあれだけの人が共産国で死ななくて済んだ。植民地攻撃がなくなりますけど人助けは同じでしょう?だから自分は北進するべきだったと思います。陸軍は南方のジャングルでの戦闘なんか訓練すらしてませんしね。その陸軍を南方の島に置き去りにしては餓死・病死ですよ。
中国と挟み撃ちがありますけど、満州を認めるという1点で講和。秀吉の中国大返しですよ(笑)暴走関東軍はここで暴走して欲しかったです。

北進していれば、あんな無様な負け方は無かったと思いますね。米軍10万人以下、日本軍200万以上うち半数以上は戦う前に餓死・病死ですよ。兵器が違ったとよく言いますがベトナム戦争は?って話です。

ドイツ降伏後ミシガン大学のハケット教授や新聞記者の質問
「どの戦いがもっとも苦しかったか?」
ジューコフ将軍「ノモンハン事件だ」
ジューコフ将軍・・・ノモンハン事件、独ソ戦モスクワ防衛司令官、スターリングラード防衛司令官、最終的にドイツを倒してソ連を勝利に導いて軍神扱いされる。

  • cap********さん

    2015/12/1120:52:11

    補足:兵力不足なんかを言ったらノモンハンなんて諸説あるから断定するわけではないが日満は3万で、ソ連はどんどん増えて22万だよ?(よくやるわ^^;)

    損害は(日)戦車約30輌、航空機 約160機、(ソ)戦車及び装甲車輌 約400輌(800以上説もある)、 航空機 約360機 (1673以上説もあり)。

    あと南進して北進したらバカだけど、北進したら米国は口実を失うでしょう?ノモンハンが正しく伝えられなくて怖ソ病にかかっていただけでしょう?

    ソ連でもピョートル・グリゴレンコの回想によれば、ソ連軍作戦参謀が「もし日本がドイツ側について参戦したならば、われわれは終わりだった」と語っている。(Grigorenko, Memoirs, trsl. by T. P. Whitney, N.Y. 1982, p. 132)

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質問した人からのコメント

2015/12/16 19:49:09

>チャーチル『ソ連に攻め込んでいれば、第二次世界大戦において日本が勝者になる唯一にして最大の好機だった』と戦後、回想している。

チャーチルの「第二次世界大戦回顧録」でしょうね。僕も日本軍がガチで米英蘭中と戦争をしても勝てるわけはないので、日中戦争の戦線を縮小しつつソ連軍と戦った方が良かったと思います。

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sou********さん

2015/12/1315:52:26

ヒトラーとスターリンの思惑(ドイツとソ連の戦略)が関係してます。

ヒトラーとしては英仏とソ連の挟撃が心配の種でした。これを解決する手段が独ソ不可侵条約です。ソ連が後方から進撃してこないと最初から分かってれば、安心して対英仏戦に集中できますから。
一方、ソ連もまた、ドイツと似たように日独の挟撃が心配の種でした。なにせ圧倒的戦力にも拘らず、ソ連軍はノモンハン事件で大損害を被り、日本軍(関東軍)の精強さをまじまじと見せ付けられたからです。簡単に言えば、スターリンは日本にビビったわけです。それを解決する手段が同じく独ソ不可侵条約。ドイツと不可侵条約を結んでおけば、挟撃の心配は無くなりますから。

まぁ、ヒトラーとスターリンはこの条約が偽装和平だと知ってましたけどね。
互いに国家戦略上、一時的に手を結んだということです。

で、ここからがゾルゲスパイ団の出番です。

コミンテルンはリヒャルド・ゾルゲに指令を出しました。(ゾルゲはGRU所属だったが当時はコミンテルンの支配下に入り諜報活動してた)
近衛文麿内閣の対支那ブレーンとなってた尾崎秀実や米国共産党員の宮城与徳らを使い、日本を北進させずに南進させる工作をしたのです。

松崎昭一著「ゾルゲと尾崎のはざま」、下斗米伸夫著『国際スパイ・ゾルゲの真実』より一部引用
「1939年のノモンハン事件(ハルハ河戦争)の頃、日本軍内部にゾルゲと親しい軍エリート達がいた。武藤章少将、馬奈木敬信大佐、山県有光少佐、西郷従吾少佐ら親独派将校は、ゾルゲに日本の軍事情報を流していた可能性が高いが、内務省に属する特高警察は、彼らを密かにリストアップできても、軍部にまで捜査を及ぼすことができなかった。」引用おわり

特高に検挙された(ゾルゲ事件)後、ゾルゲや尾崎らは、日本を南進させる為に工作したことを素直に自白しました。

ゾルゲ獄中手記
「1941年にソ連との戦雲が差し迫った折に、尾崎との会話に促されて、私はモスクワに打電を行った。彼が先に述べた制約を上手く乗り越え、ソ連に対する積極的な平和政策に賛成している彼のグループのメンバーに、影響を与えられるとの思いを述べたからである。彼は近衛グループ内で、対ソ連戦に反対して強い立場をとったら、日本の拡大政策を南方へ向かわせられるという自信を有していた。その打診は、尾崎、私、そして他のグループメンバーによる積極的な行動の可能性の概要を述べた、大変一般的なものだった。」

ヴーケリッチ(ゾルゲ事件で検挙されたゾルゲスパイ団の一員)
「私は尾崎が近衛グループ内で積極的に策動することを引き止めたり、私の態度は過去数年間不変だったことからも、私もドイツ工作をすることに躊躇しなかった。私のグループと私が策略しようとしていたことは、前2ページに記されている範囲と政治問題に限られていた。我々のメンバーの誰しもこの制約を超えることはなかった。そうすれば、われわれの本来の主要任務が危険に晒されるからだ。この点は十分、強調しておきたい。我々がやったことはいかなる意味でも宣伝活動などではない。モスクワに打診し、否定的な返答を得た先の例は、尾崎の術策を私が知って行った唯一の事例である。私の知る限り、彼は私との話し合いの後自分の友人たちに積極的に働き始めた。その際の言い分は簡単に以下の通りである。

ソ連には、日本と戦おうなどという意向はさらさらないし、仮にシベリアに侵攻したとしても、ひたすら自国の防衛を行うだけだ。日本がソ連を攻撃するなどは近視眼的で、誤った見方である。シベリア東部には、得るものは何もないし、そんな戦いをしても取るに足る政治上、経済上の恩恵など手に入れられないからだ。米国も、英国も日本がそのような戦いに巻き込まれたら諸手を挙げて歓迎し、その機会を利用して、日本が保有している石油と鉄が枯渇した後に叩くだろう。さらに、もしドイツがソ連を破ったら、日本は何もしなくてもシベリアを手に入れることができるだろう。日本が中国内ではなく、どこか他に拡大を目指すとしたら南方地域だけでも行く価値があるだろう。そこには日本の戦時経済に欠かすことのできない重要な資源があるし、そこで日の丸を立てる場所を求めんとすることを妨げる本当の敵と対決をすることになろう。

尾崎は1941年にこのように緊張を和らげようとして動いていた。他に何か策略していたは知らないが、当時彼は私同様、ソ連の国力を皮相的に評価することや、その経済を過小に評価する一般的な傾向には同意していなかったのは間違いない、と私は確信する。彼との会話では、彼はノモンハンで学んだ教訓を疑いなく指摘していたし、ソ連とドイツの戦いに関するヒトラーの誤算を強調していた。」

※《彼のグループのメンバー》というのは尾崎が所属してた昭和研究会のこと
昭和研究会は近衛内閣のブレーンでした

尾崎は「ソ連には、日本と戦おうなどという意向はさらさらないし・・・」と、このように真っ赤な大嘘で北進論派の勢力を封じ込め、南進させる工作をしたのです。
ちなみに、《ヒトラーの誤算を強調》というのは、尾崎はドイツがソ連に敗北することをドイツが降伏する一年以上前から予測してました。

ゾルゲが日本国内で実行した主な諜報活動
1939年
平沼内閣の成立事情を調査
ノモンハン事件の報告
日英会議を調査報告
日独伊軍事同盟問題の調査
1940年
米内内閣成立を調査
第2次近衛内閣成立についての報告
日独伊経済協定問題についての報告
1941年
ドイツ軍によるソ連侵攻の報告
日本の戦争遂行能力についての報告
日本の南進政策の報告

1964年、ソ連政府はゾルゲにソ連最高英雄勲章を授与してます。


日本陸軍はノモンハン事件での経験から対ソ戦について、それなりに自信を持ってました。なので北進して対ソ戦は軍事能力的に不可能ではありません。問題(課題)があるとすれば補給とソ連軍の化学兵器(生物兵器)戦術に対する対応でしょう。

日本陸軍がノモンハン事件で自信を持ってた証拠に
当時ホロンバイル地区でソ連・モンゴル連合軍と戦った23師団は、熊本に司令部がありました。戦後、熊本日日新聞社が『熊本兵団戦史』(昭和40年発行)という本を出しているのですが、それによると、

「(ノモンハンでは)生き残った者の大多数が敗戦意識を抱いていない」
「ソ連軍には友軍同士の横のつながりがまったくなく、隣の隊がどんなに困っていても、上から命令がなければ決して協力しなかった」
「(ソ連軍は)友軍機が落ちても、それを友軍機と思わなかった。おちるのは皆敵機と信じ込んでしまっていた」
「野砲兵中隊は、のちのちまで敵戦車の数が多ければ多いほどエモノは多いと勇み立って、すこしも戦車を恐れなかった」
「ソ連兵が負傷すると大声で泣きわめくのでなんだ弱虫と笑った。格闘となれば(中略)1対1なら絶対勝つと確信していた。わが死傷者も多かったが、敵の死傷はさらに多かった」


結論
日本は北進してソ連挟撃しようにも、ゾルゲスパイ団がいる限り、無理だった。
内部に裏切り者がいるとお手上げ状態です

これも参考にしてくださいな
http://www.ac.auone-net.jp/~oknehira/NihonWoSekikaSunzenmadeOikonda...

knz********さん

2015/12/1101:25:28

日独伊ソの4か国同盟をもくろんで、4月に日ソ中立条約を結んだ松岡外相は、6月の独ソ戦勃発により、その構想が破産して、俄に北進論(対ソ戦)を主張します。陸軍も参謀本部の田中作戦部長が強くそれを主張します。7月2日、「情勢の推移に伴う国策要綱」を御前会議で決定して、南進論(対英米戦)・北進論準備併記の政策を決定します。これに基づき、陸軍は対ソ戦開戦準備の関東軍特種演習を発動して、関東軍への兵力動員を行います(集中予定兵力85万。実際の集中兵力60万)。極東ソ連軍の兵力が半減したら開戦と予定しました。強気の陸軍でも集中後の関東軍兵力では現有極東軍兵力より劣っていたからです。しかし、ソ連は極東の兵力を減少させず(実際は極東兵力を西送させて、対独戦に充当しました。しかし、新兵を補充することで見かけの兵力を減少させませんでした)、このため冬も近くなり、8月9日、年内の開戦を延期することになります(42年春開戦)。

もし、渋柿主義で強行に開戦するとすると、開戦は9月となり、兵力的にも不十分で、よくて沿海州に攻め込み、一定程度の地を確保できますが、冬に入り、戦線が膠着して、にっちもさっちもいかなくなり、ソ連軍の反撃を受けて、惨めな事態に陥るのが関の山です。(東部方面の沿海州を攻撃目標とするのが主攻撃です。西部方面から攻撃する計画はなく、またその兵力もありません。また、北部に進撃してシベリア鉄道を占領するも兵力不足です)

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t0w********さん

編集あり2015/12/1121:21:52

なぜアメリカを敵に回さず済むと思うんですかね?

ソ連に侵攻した途端、アメリカが宣戦して
米ソから挟み撃ちにされたり
ソ連に辛うじて勝った直後に宣戦されたりとか考えれませんかね?

開戦のタイミングを日本が決めて良いなんてありませんよ?



ちなみにソ満国境のソ連軍は全く引き抜かれてません。

直接敵対していないソ連に攻撃するメリットはありません。

2015/12/1004:17:15

地上軍を送るなら、ウラジオストック辺りを空爆する程度でいいと思います。(レンドリース阻止のため)

inv********さん

編集あり2015/12/1121:47:01

そもそも北進論は単に日本陸軍のメンツを掛けたものでしかない。現実的には資源が少なく(大慶油田は当時未発見、ボーキサイトやアルミもウクライナ近くまで進出してようやく確保可)、海軍は動けず、冬季装備は貧弱、兵站も弱い。特に兵器が問題で、歩兵銃はイタリアと肩を並べる程精度が悪く、戦車もペラペラな装甲。ドイツのティーガーやパンターだから善戦したんであり、ソ連がT34でも出してきたら我方に倍の兵力がいても全滅かも。北進論は現在においてもやらなくて良かった作戦ですわな。

補足:フィールドと戦力が違う。太平洋全域なら島か大陸の海岸沿い。なら海軍軍艦や飛行機・爆撃機からの援護も可能だし、島などは全域ではなく拠点を抑えるのが常だから一点集中も出来る。だが大陸なら前線に切れ目があってはならない。つまり少ない戦力でも太平洋戦線なら効果あるかもだが、ユーラシア大陸では大軍を広範囲に配置しつつ押し出さなくちゃならない。日中戦争で日本軍が失敗したのが正にそれ。拠点撃破ばかりに重点を置き、敵を広範囲に散在させてしまった。狭い島国で城や領土という拠点攻略に拘った戦いばかりしてきたツケだね。

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