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F1中継の解説・森脇さんって何者?? 元ドライバーとかじゃないですよね?? 分...

up_********さん

2008/3/1622:40:14

F1中継の解説・森脇さんって何者??
元ドライバーとかじゃないですよね??
分かりやすいし、喋り方とかも好きです。

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sti********さん

2008/3/1716:53:54

元々はホンダの車体開発エンジニアでした。私の記憶では'68年入社で、第1期ホンダF1活動にサスペンション設計で関わっ
ていた(←と、なると、恐らくはRA302か)ハズです。どうも諸説入り混じっているようですね。

その後、富士GC初期、ホンダと縁のある田中健次郎氏を手伝う形で“課外活動”を行ったりした後、ホンダを退社。渡英しレ
ーシング・コンストラクターのGRDに籍を置きます。
F2、FA、F3、2リッタースポーツカーといった様々なカテゴリーのマシン設計やF1マシン(←パーネリ)製作の手伝いを手掛けた
後、ホンダ時代の同僚・入交昭廣氏の「森脇、F1作るから帰ってこい!」の誘いに応じ帰国(←ちなみにこのプロジェクト、“松
下電器からパナソニックブランドでスポンサードを受け、フォードDFVエンジンを搭載した国産マシンで富士のレースに参戦する”
というものでしたが、パナソニックのスポンサー話が流れて「無かったこと」に)。
こうして浪人の身となるも、毎日新聞関係者の口利きでスポーツニッポンのF1主催事務局本部に勤めることに。'76年は“人・
モノ”のロジスティクスを取り仕切り、スポニチが主催を降りた翌'77年は新たな主催者となったJAFで一時的ながら大会事務局
局長付職員となり、GP開催契約再締結の前面に立ってFOCA会長のバーニー・エクレストンと“サシのガチンコ交渉”の末“不
平等条約”だった前年契約を改めることに成功します。

富士F1が'77年の事故の影響で開催継続を諦めざるを得なくなると、フリーランスのエンジニア兼デザイナーとして糊口を凌いだ
後、'79年ノバ・エンジニアリング入社。
主として委託されたレース活動でのマシン開発及び整備を指揮するエンジニアの一人として活躍します。

その後、親交のあったモータースポーツジャーナリスト・今宮純氏の説得により、フジテレビF1中継のコメンタリー・スタッフ加入。

今でも、ノバが請け負っているレース活動では現場に立ちつつ、F1解説も続けておられます。
やはり、生来のコミュニケーション能力に加え、海外生活経験がある分“言うべきはハッキリと、伝わるように話す”ことになお長け
ておられるんでしょうね。

ベストアンサー以外の回答

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RERAさん

2008/3/1717:05:43

本田技研出身で、現在はレーシングチームのノバ・エンジニアリングの取締役です。フジテレビのF1中継では、スタートした1987年から
ピットリポートや解説をやっています。CS放送では「フォミュラーカー基礎講座」という番組で、F1、Fポンマシンの技術的な基礎知識を
解説しています。

# tsuyan2000jpさんの投稿は、ウィキペディアからの丸写しです。削除を願います。

tsu********さん

2008/3/1622:54:04

森脇 基恭(もりわき もとやす、1946年4月27日 - )は、レーシングカーデザイナー、レースエンジニア、フジテレビF1中継解説者、ノバエンジニアリング取締役技術部長。東京都新宿区出身。成蹊大学工学部卒業。


[編集] 略歴
1969年に成蹊大学工学部を卒業し、ホンダに入社、本田技術研究所に配属される。同期には現ホンダ社長の福井威夫、ホンダのF1プロジェクトリーダーからマクラーレン・フェラーリのエンジニアに転身した後藤治らがいる。

1973年にホンダを退社して渡英。イギリスのレーシングカーコンストラクターであるGRD(Group Racing Development)社に入社。同社で日本人初のチーフデザイナーとしてGRD-S74(スポーツカーシャシー)などのデザインを担当する。

1976年に帰国し、ホンダが台湾に設立した二輪の製造子会社で開発部長を務めつつ、F1日本グランプリ主催者の事務局次長としてグランプリの運営に携わる。またこのとき、TBSが担当した日本グランプリのテレビ中継にピットレポーターとして出演している。ちなみに1977年の日本グランプリ開催に当たっては、主催者である日本自動車連盟(JAF)の代理人としてF1の興行権を持つバーニー・エクレストンとの契約交渉に臨み、その巧みな交渉術から、契約完了後エクレストンに「よかったら自分の秘書にならないか」と誘われたという逸話がある。

1979年にはGRD社時代の同僚である猪瀬良一に誘われる形でノバエンジニアリングに入社。以後ノバエンジニアリングの技術部長として、長谷見昌弘・星野一義・高橋国光らと組む形で全日本F2選手権や全日本耐久選手権などに参戦する。

1987年からフジテレビがF1のテレビ中継を開始すると、当初はピットレポートを担当。1988年以降は解説者として不定期ながら現在まで中継に登場している。実際にレーシングチームを運営しマシン開発に当たっているという裏づけを持つだけに、その重みのあるコメントの的確さには定評がある。また、声の良さ、かつぜつの良さはレース側の人間としては出色のものであり、今宮純や川井一仁らが原則としてCSのフジテレビ721でのF1中継に回される中、CSと地上波の両方で解説者を務める珍しい存在でもある。

2008/3/1622:51:43

レースカーのデザインをしている人でノバエンジニアリングという会社でレース参戦をしています
フォーミュラニッポン参戦のときは唯一パノスGフォースシャーシを輸入して開発していました

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