あるテレビ番組で戦時中のニュース映画を見ていたら、女学生がベニヤ板を丸めて戦闘機の落下式燃料タンクを作っていました。ところで、日本の戦闘機や爆撃機等の落下式燃料タンクは最初から木製だったのでしょうか。

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

回答ありがとうございました。お陰様でとても良く理解できました。

お礼日時:2016/1/1 11:13

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日本にはもともとジュラルミンなどはありませんので外国からかっていますがそれもできなくなりベニヤとか布で戦闘機をつくりました、こういうのが無事にそらを飛べると思いますか、おもえないですよね、これでは戦争に負けて当然です。 しかし中中日本はねばくなかなか戦争をやめない覚悟であり、4年間もがんばります。しかしこれも2発の原爆投下で終わりました。 なかなか粘りこい性格の日本人は戦後もたくましくいきぬきいまの日本になります。 そうすると今の戦争経験者は実によくがんばったものですね戦争に負けて焼野原から復興したのはそのおなじ日本人がしたわけなんですからね。われわれ若いものもがんばらないと笑われますよ。

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日本の落下式増槽は、九六、九七戦の頃からジュラルミン製でしたが、太平洋戦争後期になると、ジュラルミンが不足気味のなった為、木製になりました。 ドイツでは、落下式増槽に「これは、爆弾にあらず、警察或いはドイツ軍基地に持参した者には、10ライヒスマルク進呈する」と、ステンシルで書かれていました。 アメリカの様に物資が豊かな国でも、敵に戦略物資のジュラルミンを落とすべきでは無い、の考えから、P51マスタングの増槽は、強化防水した「紙」製の増槽を搭載していました。 この増槽は、一旦燃料を入れると、8時間しか持たない物でしたが、使い捨てなので、十分過ぎる物でした。

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戦争中は小学生でした 家の近くに陸軍の採石場があって兵隊さんたちが働いてました 仲良くなった兵隊さんが抜いて見せてくれた腰の短剣の刃は竹製でした(泣)