武田信玄の両眼は曽根昌世ともう一人いるとされますが、それは真田昌輝?それとも真田昌幸?
武田信玄の両眼は曽根昌世ともう一人いるとされますが、それは真田昌輝?それとも真田昌幸? 真田関連の書籍が多く出版されていますが、多くの書籍に『真田昌幸は信玄から我が眼だと言われ、昌幸の本質を見極める能力を評価し信頼していた』とあります。 しかし、中には『それは昌幸ではなく昌輝』とする書籍やネット(ウィキペディアなど)もあります。 そこで質問ですが、曽根昌世とともに信玄の両眼と言われたのは結局、真田昌輝?それとも真田昌幸のどちらでしょうか? なお、元ネタと思われる甲陽軍鑑・品第37での描写について、私の持つ腰原哲朗先生の現代語訳版では、曽根昌世と真田喜兵衛となっていました。 原本ではどうなっているのでしょう? ご存知の方がいましたら、回答よろしくお願いします。
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