ここから本文です

前にフランス史の質問をした時、"民族大移動のドサクサのうちに、イタリアから分か...

jum********さん

2008/3/2921:49:01

前にフランス史の質問をした時、"民族大移動のドサクサのうちに、イタリアから分かれた神聖ローマ帝国から、ユーグ・カペーが仏王位を承認されたのです。"と教えてもらったんですが・・

彼はフランク王国の王じゃないんですか?

フランク王国ってイコール、フランスでもドイツでもないんですよね、確か。

補足ユーグ・カペーの母親はドイツ王の娘みたいですが、ドイツの配下だったとかではないですよね?

閲覧数:
320
回答数:
2

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

san********さん

編集あり2008/3/3006:19:12

フランク王国は、9世紀、ルイ1世の死後、3人の王子により、3つに別れました。中部フランク・西フランク・東フランクで、それらが、イタリア・フランス・ドイツの起源です。西フランク王国のルイ5世の死により、カロリング王朝は断絶し、ユーグ・カペーが王となり、フランス最初の王朝カペー王朝が始まりました。
追記
母方の祖父はドイツ王ハインリッヒ1世、伯父は神聖ローマ帝国皇帝オットー1世ですが、配下ではなかったようです。

この回答は投票によってベストアンサーに選ばれました!

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

sit********さん

2008/3/3019:12:58

フランク王国は=フランスでもドイツでもありません。
でも、発展した時の根拠地はフランス北部にあり、フランスというのはフランク族の土地という意味ですよ。
一応関係はあります。

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる