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キリスト教やユダヤ教を信仰すればするほど、やはり排他的になるのは、仕方がない...

捨てる神あれば拾う神ありさん

2016/4/2316:46:51

キリスト教やユダヤ教を信仰すればするほど、やはり排他的になるのは、仕方がないのですかね?

これは、否定とかではなく、性質としての意見、疑問なんですが。

日本は、他国から侵略された経験がほとんどないので、宗教に限らず鷹揚になるのは、仕方がないかと。
仏教においても化身という概念があるので、「イエスはんも、そっちの神様でしゃろ?神様同士、あんじょう仲良くしましょうや。」ってのが、受け入れやすい。

ところが、一神教は自分たちが正しく、多文化を否定することから、始まるので、排他的になるのは、仕方がないことかと。

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asasfrankenさん

2016/4/2416:34:47

排他的であるか排他的でないか、でいえば一神教は神は唯一無二であるって大前提があるわけですから普通に考えて他の神のいる宗教に対して寛容であるはずはなく、多神教に比べ性質的に排他的であると言えるんじゃないでしょうか
歴史的にも一神教は宗教そのものが原因の戦争を始まることが多いですし
もちろん政治的目的の大義名分だったりすることも多いですが、そもそも大義名分として通ってること自体がで排他的であることの証明な気もします
まあ、その当時は排他的であることが悪であるという価値観ではなかったということでしょうね


ただ、本当に大切なのは現代のキリスト教やイスラム教はそういった排他的な面はあまりないということです
宗教も時代と共に形を変えて、寛容であることが求められる今の時代に適応した形に収まっているのです

質問した人からのコメント

2016/4/29 23:30:54

そういう考え方も出来るのですね。
ありがとうございました

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mab********さん

2016/4/2809:26:06

私の恩師の1人はキリスト教の信者でしたが、お釈迦様もキリスト様も神の世界で同じ重要な使命をおびて地上にこられたと言っていました。

osh********さん

2016/4/2808:37:41

一神教は自分たちが正しく、多文化を否定することから、始まるので、排他的になるのは、仕方がないことかと。

>異教の神はサタンですから、異教徒は人間ではないという発想も出てくるのでしょう。


キリスト教の目的とするところは、最後の審判で、キリスト教専属の神が異教徒を皆殺しにして、キリスト教徒は復活して永遠の命で高笑いし、異教徒の一人もいない神の国を実現することです。


キリスト教は現実に世界中の異教徒を皆殺しにしてきました。

ユダヤ人を迫害・大量殺戮を繰り返し、多神教徒を皆殺し、十字軍では女子供も皆殺し、
年老いた老女や・女医を魔女と決めつけ皆殺し、近代の帝国主義世界侵略でもその先鋒として植民地の宗教を弾圧し改宗か死と迫り拒絶するものは皆殺し、インデオも皆殺し、女子供に至るまで皆殺し、食料を分けて助けてくれたインデアンも、皆殺し、
アボリジニーも皆殺し、原爆投下も共犯で隣人愛とうそぶき、・・・・・



排他的というより、世界支配の野望です。

mos********さん

2016/4/2411:06:44

逆説的なんだけど、「絶対的排他性」が無かったから、キリスト教やイスラム教を受け入れた人や国や地域が有るとも言えてしまいます。

民族固有の、民族のアイデンティティーの拠り所でもある、「民族宗教」が力を持っている集団は、外部からは排他的と思われていますよ。

民族宗教には、「我々は神に選ばれた」「神の国に住んでいる」という意識に特徴があり、ユダヤ人のユダヤ教や日本人の神道は、他者にはそう見られています。

仏教も世界宗教となりましたし、民族と国境を越えて信仰されていますが、日本仏教を他国の仏教徒比較すれば、「排他性」と「独善性」に特徴があると見做されているんですよ。

特に、日蓮系の宗派ではその特徴が顕著ですし、国家主義や軍国主義を推進するエンジンのひとつにもなっていたのです。

他国の仏教(日本と同じ北伝仏教圏の仏教を含む)では、相互交流が盛んで、南伝仏教・北伝仏教の垣根を越えて、仏教徒同志の連帯感があります。

「小乗」(現在の南伝仏教を馬鹿にする言葉です)蔑視は、日本仏教の悪しき伝統で、未だに(大乗運動から2000年近くも経つのに)、事実とは反する小乗蔑視を教義の基礎としている日本仏教宗派もあります。

まあ、宗教だけに原因を求めることは出来ません。

しかし、日本及びに日本人は、外国人からは排他的だと思われていますよ。

ナショナリズムと宗教が合体すると厄介です。
仏教圏でもキリスト教圏でもイスラム教圏でも、そしてユダヤ教を信仰する人の社会にも、排他的な「極右」は居ます。

戦争推進に宗教を利用する人は、いつの時代もどこの地域でも居ました。

キリスト教圏やイスラム教圏に行けば分かりますけど、表面的?にはフレンドリーな人が多いですよ。

フレンドリーさが良しとされている社会ですから。

東アジア圏の特徴である、儒教文化と歪んだ仏教の組み合わせでは、フレンドリーさが良いという価値観は出てきづらいです。

第3者から見れば、韓国人・中国人・日本人は、考え方や性格も似ているとなります。

2016/4/2408:05:28

キリスト教はともかく、ユダヤ教はいわゆる「排他的」な宗教ではありません。

歴史的に見てユダヤ人は多民族の中で常に少数派として生きてきましたから、他宗教に対して排他的に振る舞うと自分たちの生存が脅かされてしまうのです。他宗教を尊重しつつ、自分たちの信仰は信仰として守るのがユダヤ人の生き方です。そのためユダヤ人は旧約聖書の時代から、他宗教の王宮でも高級官吏として働くことが出来ました。

キリスト教が排他的に振る舞うのは、体制側の宗教として多数派になった時代が長いからでしょうね。近代以降は政教分離が進んで政治的には排他的に振る舞うことがなくなりましたが、それでも長年に渡って染みついた考え方のクセみたいなものは抜けません。

ただ「日本は多神教だから排他的ではない」というのは、事実とは異なると思っています。日本ではキリストやアッラーを奉った神社なんてありませんし、外国人の受け入れにも消極的……というか、実際には完全拒否ですよね。

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mar********さん

2016/4/2319:01:54

ムハンマドはコーランの中でこう言ってます。

「“あなたは、人びとの中 信仰する者を敵視することが最も厳しいのは、ユダヤ人と多神教徒であることを知るであろう。またあなたは、信仰する者に一番親愛の情を抱いているのは、「わたしたちはキリスト教徒です。」と言う者であることを知るであろう。これはかれらの間に、司祭と修道士がいて、かれらが高慢でないためである。」

多神教徒が一番忘れていることは、唯一の神を信じ、崇拝し、それを教えること、はそれ自体が大切な「信教の自由」であることです。つまりは一神教を認めないそちらのほうがよっぽど排他的なわけですが。

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