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山口県下松市にとって 日立とは、どういう存在ですか? 下松市の財政にも影...

bri********さん

2016/5/1318:00:02

山口県下松市にとって

日立とは、どういう存在ですか?

下松市の財政にも影響を与えていますか?

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kag********さん

2016/5/1510:22:31

企業(法人)が納める「地方税」は事業所所在地の「県・市役所」に納税しますので、財政が潤います。地方税とは、市民税(法人)・固定資産税・地方消費税・事業所税・都市計画税等です。
尚、「国税」(法人税・所得税・消費税等)は、国に納税しますので「県・市役所の財政」には影響ありません。
(参考まで)
http://税金対策節税.com/tax/about_tax/kind.html
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【日立の由来】なぜ、山口県に・・?
日立の前身「久原鉱業所」創業者(久原房之助)が山口県出身。

日立鉱山の修理工場を事業の起源とし、主たる事業拠点を茨城県を始めとする関東地方に集中させている「日立製作所」にあって、関東から遠く離れた山口県下松に事業拠点を構えるのは、日立鉱山(久原鉱業所)の創業者であり、「鉱山王」の異名を取った久原房之助の一大構想に由来する。

久原鉱業所の成功で一財を成した房之助は、自分の郷里である山口県に於いて一大プロジェクトを描いていた。それは山口県都濃郡下松町(現在の下松市)から都濃郡太華村(現在の周南市櫛浜)にかけての周防灘沿岸一帯を埋め立て、一大工業地帯とすることであった。その著として、久原は自ら造船業に乗り出すことになり、1915年(大正4年)に日本汽船株式会社を立ち上げることとなる。創業当初の日本汽船は好調を極め「造った船はでき上がるまでに何層倍の高値で、羽が生えたように飛んでいった」(宮本又次著「大阪商人太平記」より)といわれるほどであった。

しかしその一方で、造船業以外にも事業を急拡大させた房之助は第一次世界大戦の終結をきっかけに一転苦境に陥ることとなる。前述のプロジェクトを実現させるべく1919年(大正8年)に下松の埋立地にて日本汽船笠戸造船所の操業を開始するも、早くも翌々年の1921年(大正10年)には房之助の元から独立を果たしていた「小平浪平」(現日立製作所創業者)率いる日立製作所が日本汽船笠戸造船所を取得することとなり、ここに笠戸は日立傘下の製造拠点の一つとなったのである。なお、房之助自身も1928年には久原鉱業所の社長の座を義兄である鮎川義介に譲り、経営の一線から退き、政界に転身している。

造船を手がけていなかった日立は、笠戸造船所の施設を「笠戸工場」として鉄道車両の製作に振り向けることとなり(1920年にはタンク式蒸気機関車の製造実績があったという)、3年後の1924年(大正13年)に国産第1号となる大型機関車である国鉄ED15形電気機関車を完成させ(笠戸工場は機械部分を担当)、日立の鉄道車両造りの歴史が始まることになる。


以上

質問した人からのコメント

2016/5/20 00:36:38

ご回答ありがとうございました

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