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椎名康胤は上杉家に攻略され自害しましたが、その後の子孫はどこへいったのでしょ...

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ID非公開さん

2016/6/2520:19:59

椎名康胤は上杉家に攻略され自害しましたが、その後の子孫はどこへいったのでしょうか?

また、椎名という苗字は千葉県に多いですが関係ありますか?子孫‥とか?

椎名家は桓武平氏の千葉氏の分家からきたものだというのは知ってますが、江戸時代などで、椎名という大名はみかけません、滅びたのでしょうか?

それとも平民になったのですかね?

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end********さん

2016/6/2603:26:15

*椎名(しいな):下総国千葉郡千葉荘椎名郷(千葉市)発祥。桓武平氏千葉氏。千葉常兼の子六郎胤光が椎名氏を称した。「源平盛衰記」には椎名六郎胤平(胤光)のことか)の名が見える。のち匝瑳郡にも所領を得、一族は九十九里沿岸に広がった。

〔越中椎名氏〕鎌倉時代、一族が越中国新川郡(富山県)に移り、越中椎名氏となった。永正17年(1520)長常は越後から侵入してきた長尾為景と戦って敗れ、その代官となった。以来松倉城(魚津市)に拠って越中東部を支配し、西部の神保氏と対抗した。永禄11年(1568)康胤が武田信玄に寝返ったため、元亀4年(1573)上杉謙信によって落城、のち養子小四郎も同7年の御館の乱で景虎について討たれ(「戦国人名事典」説)、椎名氏は滅亡した。

〔陸奥椎名氏〕江戸時代、一関藩士に椎名氏があった。祖泰利は伊達政宗の家臣鈴木元信に仕えていたが、のち田村氏に仕えて一関に転じた。延享5年(1748)に椎谷から椎名に改姓したという。

〔分布〕現在も千葉県の下総東部から茨城県との県境にかけて多く、千葉県では八日市場市や匝瑳郡光町で、茨城県では北相馬郡藤代町でベスト10に入っている。
(以上「日本名字家系大事典」など)

*「姓氏家系大辞典」に越中椎名氏の〔後胤〕についての記述があります。
九里氏云う「泰種(康胤)の甥に小幡雅楽之助なる者あり(三州志)。また泰種は己が嫡子を出家せしめて、菩提所常泉寺の住僧とすると云い、また稲見七郎右衛門の娘を泰種の妾となし、一子を生む、これ常泉寺の開基なりとも伝えらる(土人説)。天保頃、この椎名の血胤なるものに椎名道山あり。道山は小林宗三郎の次男を養いて子とし、道三と称せしむ。道三、開墾水利の術に長ず、前田藩主、これを抜擢して新田才許に任じ、道三50余年の間、新田を開墾し、用水路を掘鑿せしもの約1060町歩、これを草高にして約1万石、藩、その功を賞して賞与せること数次。後に家を養父道山の実子道山(父と同名)に譲り、別に一家を起こし、安政3年、72歳にて死す。道山の後は今、椎名乙吉と云う(椎名家古文書等参照)。なお、他に椎名を氏とする者数戸、松倉村にあり、皆孫八の後裔と称す」と。

*下総の椎名氏は「剣酢漿草(けんかたばみ)」を家紋とし、越中の椎名氏は「蔦(つた)」を家紋とするとありますね。

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iyt********さん

2016/6/2600:34:00

どこのだれ………?。

いつ、どこの殿様よ

滅んじゃったら、わかりません!

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