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日本は過去に杉原千畝のユダヤ人に対するビザ発行や、トルコの難破船を助けるなど...

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ID非公開さん

2016/7/1316:56:47

日本は過去に杉原千畝のユダヤ人に対するビザ発行や、トルコの難破船を助けるなどを行っていますが、その他に歴史上、外国人を助けたりしたことがあったら教えてください

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ベストアンサーに選ばれた回答

sit********さん

2016/7/1318:00:14

マリア・ルス号事件
横浜に停泊中のペルー国籍の船から
中国人の奴隷を開放した事件です

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BB%...

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

rov********さん

2016/7/1319:01:09

1853(嘉永6)年ペリーの黒船がやってきた翌年、ロシアのディアナ号が大阪天保山沖にやってきて、天保山沖に15日間停泊し大騒ぎになりました。
幕府から出た「諸外国の応接は下田でする」との書状をロシアの海軍中将・プチャーチンは受け取り立ち去りました。

安政元年(1854)11月8日、伊豆・下田一帯は紀伊半島南端を震源とする安政南海地震と、それに伴う大津波に見舞われました。

下田港に停泊中のディアナ号はその安政南海地震に遭遇し、2000トン級の巨大な船体は津波に弄ばれ、丸半日激しく湾内を旋回した後、大破状態で停止、破損した船体を修復すべく、幕府の許しを得て戸田村へ向かったディアナ号は、途中強い風波にあい沈没。

プチャーチンら乗組員は、地元民の協力もあって命からがら脱出に成功します。

遭難したロシア人たちは、宮島村(静岡県富士市)に上陸し、使節の応接担当した川路聖謨は、ただちに彼らの救難対策を講じ、地元民は大地震の被災後で自分たちの衣食住もままならぬのに、親身になって手を差し伸べた。
これに対し、ロシア人一行は深く感動し、感謝した。

プチャーチンは日露和親条約締結後、帰国用の代替船の建造を幕府に願い出て許可され、戸田村・牛ケ洞における帆船の建造が始まり、日本人官民合同で300人と、ロシア人200人が加わり、日本史上稀に見る日露合同プロジェクトが展開され、言葉の壁や、資材の不足、専門技術者の不在等、困難を乗り越え、洋式帆船建造に日露双方の人間が一丸になって取り組みました。
着工から三ヶ月で、2本マストの小さな帆船が竣工しました。

プチャーチンは、村民への感謝をこめてこれを「ヘダ号」と名付けました。そしてこの「ヘダ号」は見事ロシアのニコライエフスクまで航行し、プチャーチンたちは3年ぶりに祖国の土を踏むことになりました。
安政3年(1956)9月に日露友好のシンボルとなった「ヘダ号」は日本に返還されています。

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