ここから本文です

種田山頭火、まっすぐな道でさみしい、の凄さとは? まっすぐな道でさみしいっ...

sae********さん

2016/7/2613:41:00

種田山頭火、まっすぐな道でさみしい、の凄さとは?


まっすぐな道でさみしいって普通ですよね。

でもそこまでに行くストーリーがすごいのだと思うのですがそれを知りません、 説明できる方していただけるとありがたいです

よろしくお願いします

閲覧数:
5,573
回答数:
2

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

taroさん

2016/7/2622:40:00

種田山頭火は旅に生きた修行僧です。しかし、芭蕉の旅のように芸術を追究したわけではありません。旅から旅へ托鉢をしながら、もらったお布施で酒を買い、飲んだくれる破戒坊主です。

彼の自由律俳句の特徴は一切の技巧や約束事を排除して、自分自身の生の気持ちを表現するところにあります。
世間体やら名声やら評価やら、そんなものをすべて捨て去って「一切放下」してしまったところの境地です。

この俳句も、一般の人は「道がまっすぐである」ことと「さみしい」ことの間に因果関係を感じ取って解釈しようとします。

つまり、「まっすぐな道だからさみしい」と読んでしまうのです。しかし、山頭火は「まっすぐな道でさみしい」としか言っていません。
なぜなら、彼は「たとえ道が曲がっていてもさみしい」からです。

また、一般の人は「道」=「人生」の比喩、と読み取ろうとします。それも山頭火を理解することにつながりません。

彼は、人生の何であるかを追究するために歩いたのではないのです。

「どうしようもない私が歩いている」

自分自身がどうしようもないから、歩く以外のことは思いつかなかったのです。つまり歩くことには何の意味もない。

ちょっと前に「リヤカーマン」と呼ばれる人がいました。リヤカー引いてアマゾンとかアフリカとか世界中歩くんですが、別に目的地に何があるわけでもない。そういうのと同じです。

山頭火のすごさは、そこまで自分自身を捨て去ったことにあります。「人生には何の意味もない」、そう言い切ってしまえば、我々はいろんな束縛から解放されるのではないでしょうか。

これが山頭火が愛される理由だと思いますね。

  • 質問者

    sae********さん

    2016/7/2622:47:19

    めちゃくちゃ面白い話でした
    ありがとうございます
    リヤカーマン、私もクレイジージャーニーで見ました

    なので例えがすごい分かりやすかったです

    あの人も苦しい苦しいと言いながらずっと歩いていましたもんね

    タモリが意味のないことこそ意味があると言っていましたが、 山頭火はそれすら意味がないと言っているんですね

    だから歩く、と

    そして発した言葉にも意味はないと

    受け取る人がどう受け取ったっていいよというスタンスなんですね

    まだまだ分からないところがたくさんあるので少しずつ研究していきたいと思います

返信を取り消しますが
よろしいですか?

  • 取り消す
  • キャンセル

このQ&Aで解決しましたか?質問する

閉じる

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

2016/7/2614:44:03

真直ぐな道のほうがそこのほうにあられられました事のほうにびつくりされられましてその道のほうを行かれられますとどこのほうに行かれられますのかと正直不安になられられましてどこかに連れられまして行かされられますような・・・。

今までは刻々と変わられます目の前の景色でしたですけれどもそれ故にこの長い道のほうはそのような意味のほうで余計寂しさのほうを引き立てさせられますように思われられましたのかなと思いましたです

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる