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徳川家康公は、御三家を生んだ、お亀の方、お万の方を特に寵愛していたのでしょう...

mei********さん

2016/11/3015:51:30

徳川家康公は、御三家を生んだ、お亀の方、お万の方を特に寵愛していたのでしょうか?

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ben********さん

2016/12/614:40:07

側室は、30歳でお褥すべりしますから、熟女好きな家康は、触れ合えた期間が短いはずです。
気を許し、信頼とすれば、「阿茶の局」でしょう。
突然ロリに転向して、戦場や大坂の陣後の会合にも連れて行った「お勝の方」を一番愛したと思います。

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f27********さん

2016/12/612:21:18

家康がもっとも寵愛した女性って正直わかりません
晩年でいうと、お梶の方(お勝の方・英勝院)は大坂の陣にも従軍させたくらい寵愛されてました
家康の子を産んだものの、夭逝してしまったため、不憫に思った家康はお万の方が産んだ十一男鶴千代(後の頼房)を養子に授けました

また、家康の最後まで身の回りの世話をして死に水を取ったのは茶阿の局(松平忠輝の生母)でした
側室の中ではもっとも低い身分の出身と見られますが、家康に仕えた期間はもっとも長い女性です

大河ドラマでメジャーになった阿茶の局は家康の子供は産んでいません
大変聡明な女性だったようで、どちらかといえば、秘書官というかや女官の束ね的な役割であったように思います

家康は特定の女性を溺愛することはなく、どの側室もそれなりに愛していたようにも見えます
またごくプライベートな面で世話をしたのは茶阿の方、政治や外交も含めた公的な役割は阿茶の方、中間的なのがお梶の方という感じでしょうか

yas********さん

2016/12/600:59:31

御三家は、早世した松平忠吉、武田信吉の領地を引継ぐ形で始まっています。
特に寵愛していたからではなかったようです。
ただし、徳川頼宣を寵愛していたと言われています。

oya********さん

2016/11/3022:27:41

べつにそんなことも、ないようですね。

ほぼ平等に側室たちを愛していたようです。

ina********さん

2016/11/3016:42:25

年齢差が30歳以上。
そりゃ若い子がいいでしょ。

徳川家康 1543年生まれ
養珠院(お万の方) 1580年生まれ。
相応院(お亀の方) 1573年生まれ
英勝院 1578年生まれ
蓮華院 1586年生まれ
養儼院 1597年生まれ
他にも若い側室がいっぱいいました。

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