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単旋律の歌がオルガヌムになってだんだん複雑なポリフォニーになってって機能和声...

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ID非公開さん

2017/1/1912:09:13

単旋律の歌がオルガヌムになってだんだん複雑なポリフォニーになってって機能和声が生まれたんですか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

2017/1/2022:36:45

機能和声の発達には、少なくともルーツの異なる二種類の創作習慣が寄与していると考えられます。

ひとつは、4度、5度中心の和声の基礎を固めた、ノートルダム楽派、ブルゴーニュ楽派のポリフォニー。もうひとつは、3度の和声感覚を育んだ、イングランドのポリフォニー。後者においては、とりわけ gymel と呼ばれる連続3度の進行が重要です。

同じ頃に作られたと考えられる、下の2種類の音楽を聴き比べてみてください。

◆ペロティヌス:“Mors”によるクラウスラ(1200年頃)
https://www.youtube.com/watch?v=bafFNUvD1mw

◆聖マグヌスの賛歌(12世紀イングランド)
http://youtu.be/6zciDnkMjfE

前者は、カトリック教会の典礼において、ローマ聖歌が複雑化していく過程でのひとつの局面であり、リズムや響きの遊びに溢れているものの、和声と呼ぶには違和感がある。一方、後者の方が、われわれが知っている和声感覚にずっと近い。その親近感の正体が連続3度の響きに他なりません。

音楽史上の定説では、15世紀になってこのイングランド特有の響きを大陸に持ち込んだのがジョン・ダンスタブル、それを大陸の伝統的な作法と結びつけて大きく発展させたのが、ギヨーム・デュファイであるとされています。とりわけデュファイは、教皇エウジェニウス4世の側近としてフランドル、イタリアで広く活動し、その後の音楽史の方向を変えるような決定的な仕事をした作曲家です。

次の曲の最後、6:28に始まるAmen に充てられた和音は、近代和声法で言えば I-V-I の進行に当たります。「ランディーニ終止」と呼ばれる中世特有の終止法が支配的だったこの時代においては、とても斬新な進行(終止和音の3度音が途中5度に上がることによって、中世以来の伝統が保持されています)。

◆デュファイ:ばらの花は先ごろ
https://www.youtube.com/watch?v=EOWHvIZzXPI&feature=youtu.be

下記のウェブ記事の筆者は、音楽史の流れにおけるこの和声法の新しさに着目するとともに、この3度の響きの導入をルネサンス時代の象徴する出来事だとしています。

『西欧音楽の起源~ルネッサンス初期――デュファイによる「ドミナントの発見」へ至る音響的総括として』(匿名記事)
www.kotobukihikaru.com/__theory/sonic-construction-theory/Classics/dominant.pdf

私もこの意見に大筋で賛成であり、「ばらの花は先ごろ」の終止に機能和声の萌芽を見てとれると考えていますが、あくまでひとつの見解に過ぎません。歴史の解釈は一筋縄では行きませんし、新たな史料が発見されて見方が180度変わることもありますので。

画像は、デュファイの「ばらの花は先ごろ」が1436年に初演された、フィレンツェの花の聖母教会。ルネサンスを象徴する名建築です(画像のソースはウィキペディアの「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」)。

機能和声の発達には、少なくともルーツの異なる二種類の創作習慣が寄与していると考えられます。...

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質問した人からのコメント

2017/1/21 23:52:33

丁寧なご回答、ありがとうございました。
参考になります。

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

mom********さん

編集あり2017/1/2115:03:52

詳しい訳では有りません。
でも、あらゆる時代音楽を聴き漁る事をライフワークと、して来ました。最近は仕事の関係で、進んでないんですけど、この頃は歳下作曲家を聴いてました。アレだけ前衛だった現代音楽も、おとなしくなったなって思います。まだまだ21世紀音楽は始まったばかり、なんとも言えませんね!

グレゴリオ聖歌が、単旋律聖歌として、再現が可能な一番古い音楽として、紀元後一千年までの後半に造られた?音楽です。単旋律は、言葉が聴き取りやすいように、大切にされたもので、

此の紀元10世紀ぐらい迄の西欧は、フン族( 中国 北方に在った 匈奴 だとされてまいす )の西進で、ゲルマン属が大移動を行い、西欧ももろに侵略され、まさに動乱の時代でした。西ローマ帝国も、此の流れで滅亡。信仰への思いは 、命懸けであった筈です。そう言った厳しい時代の、単旋律聖歌が、今の私たちを感動させるのは、当然の事です。
早期音楽には、勝れたものが多いのは、厳しい時代の産物だからです。

ローマ聖歌が、混乱の時代に産み出されたもので有りますが、ゲルマン人も、時と共に、蛮族から、次第に教養を身に付けて、文明度がかなり向上して来ました。 その後、音楽先進国となる、現在のイタリア、フランス、ドイツと言った場所にゲルマン人の文化的国家 フランク王国が誕生、西欧の治安は安定化と教養を身に付けたゲルマン人国家の成立です。そして、単旋律のみだった聖歌も、語句と語句とのあいだに、新たに旋律を加える形で単旋律聖歌は、変化し始めました。セクエンティアと呼ばれます

オルガヌムも、そう言った、聖歌の複雑化の初期の形態であります。初めは単純に、完全四度と完全五度の旋律をつけることから始まって、段々に複雑化、節目で四度か五度に成るだけの、あとは自由なオルガヌムに成り、それが、二声から三声へと変化して、フランスのノートルダム寺院では、レオニヌス ペロデイヌス と言う二人の勝れた作曲家が、初期のポリフォニー作家として活躍しました。その後の世代、マショー( 1300ー )に至って、わたしの独自の感覚ですが、まさに超人的なポリフォニーを完成させました。


フランドル楽派の登場まで、協和音は、四度と五度が、守られており、ポリフォニーの一応の完成を、ここに見る事が、できます。ここら辺のゴチック性の強い音楽を、ゴチック音楽と呼ぶ事が、多い物です。

その後すぐに、イタリアでは
トレチェント音楽というものが生まれます。それは、ゴチック音楽とは、全く違う、ルネサンスの勃興に合わせて、生まれて来た、初期ルネサンス音楽と言えるものです。その後スプリデイオル楽派と言う、複雑極まり無い音楽が生まれ、曲想を聴き取ると、ゴチックの複雑性よりも、ルネサンス系であると感じます。ルネサンス初期音楽は、ここに誕生します。

ゴチックとルネサンスの時代的線引きは、ほかの時代と違って、少々複雑です。フランスのマショーなどは、ゴチック性が強いものです。


ルネサンスは、14世紀中頃に始まりますが、音楽もそれ以前のゴチック性から完全に離れた、滑らかでシンプルな音楽が誕生しました。明らかにルネサンスの影響が見られるもので、15世紀にフランドル楽派が、西欧の主な市場を独占するまで、独自の変化を伴いながら、わたし個人としては、スプリデイオル楽派も、ルネサンス系としています。

イタリアフィレンツェから始まった、ルネサンスですが、他の時代区分の様に、瞬く間に西欧の全体に広がった訳ではなく。他の国々は、相変わらずゴチック文化の中にいました。

15世紀に成ると、今のフランスのとドイツに挟まれた、所に、広大なブルゴーニュ公国が、文化の華を咲かせて、偉大な画家を量産。そして作曲家も、イギリス人 ダンスダブルによってもたらされた、フランドル楽派が、生まれ、成長していました。フランドル楽派の勝れた音楽は、西欧の主な市場を、独占。既存の初期ルネサンス音楽を駆逐してしまいました。
ブルゴーニュ公国経由の文化を、北方ルネサンスと呼ぶ事が多いです。
名前はルネサンスですが、フランドル楽派の音楽は、完全に、ゴチック音楽の成長成熟したものです。

つまり、ゴチック音楽の話の完成系として、イタリアを始めとする、西欧諸国に広まりました。

ゴチック音楽は複雑なポリフォニーを主に発展させ、ジョスカンデプレやゴーンベール辺りまでを、ゴチック音楽の成熟形として良いと思います。

フランドル楽派の進入で、一度途切れルネサンス音楽も、16世紀初頭には、長くイタリアに在中した、イザーク や オブレヒト、ヴィラールト、などが、フランドル楽派の音楽をルネサンス的に変化させて、16世紀には、ルネサンス音楽の華が、大きく開いたのでした。

ルネサンス 終盤には、イタリア人大作曲家も現れて、パレストリーナ、ラッスス、マレンツィオ、ジエスアルド、ガフリエッリ、ヴィクトリア、モンテヴェルディなどが、ルネサンス音楽の終盤に大輪の華を咲かせました。



此処に、オルガヌムから始まる、ポリフォニー音楽の流れに、一応の終止符がうたれ、スウェーリンク、フレスコバルディ、シヤイト、カリッシミ、などのバロック音楽へと引き継がれて、最終的には、バッハによってポリフォニーは、ひとつの完成を見ることになります。

こう言ったポリフォニーの流れの中で、18世紀に花開いた、機能和声との強い関連は、これ!と言ってないと思います。と言うより、ポリフォニックな音楽主流の中で、調性と旋律をそれぞれ浮かび上がらせて安定させる為に機能和声と対位法と言う進化した高度な理論が必然的に生まれて来たと言う関連性だと思います。

機能和声は、ホモフォニックな、音楽で明快に現れるものですが、元々は、16世紀後期ルネサンスと言う、音楽の絢爛たる華が咲き誇った時、それまでのポリフォニーの上の段階に進むための対位法と機能和声が確立されていった、と考えるのが、妥当です。
16世紀に始まったって書かれてますね!ガブリエッリなどを聴いていると、和声を強く感じます。三声四声と拡大した行く中で、ガブリエッリの輝かしい音は、機能和声の初期なんでしょう。
ポリフォニーと機能和声のわたしの中では、ジョバンニ ガブリエッリの二組に別れた、器楽や声楽のグループが、掛け合いする音楽で、交唱 と言う形から、和声を強く感じています。


ヴェネツィア楽派の頃から、機能和声は、生まれたのでは無いでしょうか??聴きあさる私としては、先輩格の、ヴィラールト辺りもかなり鮮烈な和声に聴こえてきますけど。ヴェネツィア楽派辺りが起源?兎も角、16世紀後期ルネサンスの成熟に向かう時に、生まれて来た、必要な理論という事が言えます。

機能和声と対位法とは、爛熟した後期ルネサンスの中で生まれもしくわ 高度化した、音楽理論です。



デュファイが、ルネサンス初期としてしまうと、ルネサンスと言う、復興 と言う問題がおかしくなってきます。
ルネサンスは、既存の文明の流れを断ち切って、ギリシャ古典に美の解決を探ったもの。


フランドル楽派には、そう言った概念は無く。ゴチックの成熟した形として、発展してきたもの。

デュファイやオケゲムの音楽に、ルネサンスは、無いと言い切って良いものです。
大雑把な、時代区分を用いて、無理やりにルネサンスとするのは、正確性にかなりかけると言えます。
フランドル楽派( この頃は、ブルゴーニュ楽派と言う言葉を用いています。次世代からフランドルと当てています。しかし、同じ流れの楽派を、生年別に並べかけただけの事。昔はネーデルランド楽派と呼んでいました。)
が、

三度和音やダンスタフルの持ち込んだ、イングランド音楽の機能を使い始め、よって音楽が自由を獲得しはじめて、複雑ながら完成度の高い音楽を産むことになり。基盤は飽くまで既存のゴチック音楽の上に成り立っています。

フランドルからやってきた場所が、ルネサンス芸術の地域だからって、突然ルネサンス音楽と命名するのは、大雑把さを超えた デタラメです。

フランドル楽派は、北方ルネサンスと言う、事実は、ルネサンスでもなんでも無い、既存の芸術の上に発展したもの。
まだまだ早期音楽は親しまれてないから、こんな大雑把な区分けをしてるのだと思いますが、それを認めてはいけません。
フランドル楽派が、ルネサンス音楽に代わるのは、16世紀になってからです。
16世紀になって、ポリフォニーも、ルネサンス化され、唯のポリフォニーでは無くなり、各声部の主体性や協調性のレヴェルアップが図られて、洗練味を増した音楽になって来た事により、より進化した音楽の為に、機能和声や対位法か、発達したものと考えるのが妥当なはずです。

全ては、天才ダンスダブルの、ヨーロッパ本土でのでの活躍が、音楽に及ぼしたもの。その起源は、ルネサンスとは、全く別のものです。

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