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文化的共通点から中華人民共和国の新疆ウイグル自治区と中央アジアの諸国を合わせ...

uru********さん

2017/2/1609:57:31

文化的共通点から中華人民共和国の新疆ウイグル自治区と中央アジアの諸国を合わせてトルキスタンといいますよね

質問なのですが、モンゴル帝国(チャガタイ)のような外部からの勢力ではなく

、トルコ系によるトルキスタンの統一がなされたことってありますか

一通り高校の頃の教科書に目を通しましたが、西トルキスタン・東トルキスタン一方を統一した国はあっても、東西の統一を成し遂げた国がモンゴル帝国とその分国 チャガタイしか分かりませんでした

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fig********さん

編集あり2017/2/1701:01:45

領域は狭いですが、東西トルキスタンの地域に領土を広げたテュルク系国家はカラ・ハン朝があります

チャガタイ・カン国でもモンゴル伝統の慣習法(ヤサ)、遊牧生活を重視し、定住民を略奪の対象としか見なさないヤサウルを排除してチャガタイ・カンとなった
定住民、テュルク系文化を保護するケベク・カンの時代はテュルク系国家といえるでしょう

その後、チャガタイ・カン国が東西に分裂
西チャガタイはサマルカンドを中心とするマワラーアンナフルを支配領域に編入し西トルキスタンと後に呼ばれる地域を支配していました

東チャガタイは後に東トルキスタンといわれるモグリスタン(モグール=モンゴル人の国)と呼ばれていた地域を支配していました
(歴史的に中世に存在していたウイグル人はテュルク系ですが、現在のウイグル人は歴史的ウイグル人と全く関係のないモンゴル系です)

西チャガタイ・カン国はチャガタイの血縁者を名目上のカンとして立て、実質的支配はテュルク系のアミール(領主)が掌握していました

東チャガタイのモグリスタンでは前述のヤサウル同様、モンゴル伝統の慣習法と遊牧生活を重視、自らはモグールと称し、西チャガタイの人間をカラウナス(混血児)として見下しており

西チャガタイのテュルク系は自らをチャガタイと称し、モグールをジェテ(盗賊)という蔑称を与え対立していました

短期間ですが、モグリスタン・カンのトゥグルク・ティムール(後のティムールとは別人)が1360年に西チャガタイを制圧、統一しました

後のティムールはテュルク化したバルラス族出身でしたが、当初はトゥグルク・ティムールに従い、出身地キシュを含む地域の支配を安堵されると
トゥグルク・ティムールがモグリスタンに帰還後、モグリスタンに反旗を翻して反モグリスタン運動(サルバダール運動)の中心となり、ティムールの帝国化の切っ掛けとなりました

ティムール帝国ではモグリスタン(東トルキスタン)は間接支配下にありました

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