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江戸時代、大坂は銀で江戸は金で決済したときいていますが、例えば東海道のどの辺...

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ID非公開さん

2017/3/907:11:32

江戸時代、大坂は銀で江戸は金で決済したときいていますが、例えば東海道のどの辺りでそれが変わったのでしょうか。例えば尾張藩はどちら?

補足他の地方も気になります

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the********さん

2017/3/1212:00:35

江戸時代、家光以降ぐらいから、流通・貨幣の機構がしっかりしてきますと、

幕府系公金の扱い、租税としてのコメの換金のシステムが必要になります。
米は江戸・大坂両方に、幕府・各藩の蔵がありましたが、米相場は大阪の米会所が幕府公認になりこちらは、銀での扱いが中心でした。

幕府は一応、京都・大阪にも金貨(大判・小判発行所)の公認機関を指定していましたが、一旦江戸の金座・銀座・銭座に集約します。

その結果、毛目相場と銀決済が大阪風、蔵米を金で支給する江戸の金決済が成立します。

一般の生活は、銭ですから、金・銀はぬきですね。

商業も、現物を動かすとき、地産地消以外の物は、大阪・京・江戸の、座で決済します。
問屋間同士は、為替ですから、どちらが指標貨幣でも問題ありません。

地方問屋は、卸元・卸先が関西か江戸かによって、変わるだけで、金・銀は公定為替で決済していたものと思います。

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ベストアンサー以外の回答

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yas********さん

2017/3/909:31:35

尾張藩奥医師 野間家文書に藩から1年分の滞在費用として、金17 両、銀3匁、路銀金10両、雑用金10両の計37両と銀3匁を林庵は支給されたとあります。

御三家なので金が主のようですが銀も使われています。

金から銀に、銀から金に両替するために各藩お抱えの両替商がいたので少し手数料は取られるけれど決済はどちらでもできました。

また江戸から大阪にお金を送るのは紙に書いて印判を押すだけで送金できる為替制度が確立していました。両替商は今の銀行業務をしており大名にも高利でお金を融通していました。

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