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五代目の春風亭柳朝ってなぜ四天王の中で知名度が一人だけ無いのですか?

psy********さん

2017/3/3122:44:44

五代目の春風亭柳朝ってなぜ四天王の中で知名度が一人だけ無いのですか?

落語に興味ない人でも、他の談志、圓楽、志ん朝は誰でも知っていますけど
柳朝だけまるで知らないという人ばかりです。

腕は他の三人に勝るとも劣らないくらいいいんですけどね

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ベストアンサーに選ばれた回答

bas********さん

2017/4/101:34:33

柳朝が病気で倒れて以降、四天王の称号が圓鏡(当代圓蔵)へ
移ってしまったからでしょう。
結局、「前期若手四天王」(今、私が付けた呼び方です)で
柳朝の次に亡くなったのは志ん朝(2001年没)で、
実質的な柳朝の引退から約20年の時間差があります。

加えて柳朝が倒れた80~90年代は、
小朝が嘆き昇太が辟易した落語の低迷期。
落語家の情報伝承が途絶えても不思議ではないかと。
私としては談志、圓鏡はTVでもよく聞く名前、
圓楽は笑点で聞いたことがある名前、
志ん朝は何となく記憶にある名前でしたが、
柳朝は知りませんでした。
実際、私も当時は落語に全く興味がありませんでしたので
自説には自分なりにものすごく説得力を感じています。

それと圓蔵を含めた「後期若手四天王」はタレントしても
TV・映画などのメディアに出てましたが、
柳朝はそれが少なさそう。
「笑点」の出演者で判るように、知名度の形成には
落語の巧拙よりもメディアへの露出の多寡の方が影響が大きい。
これは落語の腕前とは全くの別問題です。

一言で言えば「亡くなるのが早すぎた」んでしょうね。

質問した人からのコメント

2017/4/7 09:40:28

勉強になりました。

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arg********さん

2017/4/103:34:18

個人の全集がないからです。
音源をまとめて残しているかどうかで、死んだあとの知名度は決定します。

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yan********さん

2017/3/3123:29:52

1982年に脳梗塞になり、その時以来高座に上がらず1991年に亡くなってしまいましたからね。
1982年より後に落語ファンになられた人には馴染みがないのはしょうがないですね。

でも江戸弁の切れの良さは志ん朝師匠と甲乙つけがたいですね。

談志師匠が自分の師匠以外で頭が上がらないのは五代目春風亭柳朝師匠だけだったんですよ。

病に倒れるまでの五代目春風亭柳朝師匠は志ん朝師匠と『二朝会』という二人会はすぐに入場券が売り切れ状態でした。

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