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キリスト教聖書でバベルの塔のところで、言葉が統一されず神様がバラバラにしたと...

sam********さん

2017/4/2114:21:55

キリスト教聖書でバベルの塔のところで、言葉が統一されず神様がバラバラにしたとあると思います。

現代からの研究ではどのことば(例えば英語と日本語)にされたなどありますか?

補足例えば、と書きました。
例えです

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kok********さん

2017/4/2218:09:34

紀元前6世紀の話だろ、英語も日本語もあるまい。
精々バビロン周辺の話だよ。

バビロンの繁栄に綻びが生じだして、統制力が弱まり
バビロンの言葉が労働者まで通じにくくなったという
ことじゃないかと思います。

創世記の神話のレベルなので、それ以上に創世記の編者
の意図を汲み取ることは困難です。

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ベストアンサー以外の回答

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ooy********さん

2017/4/2217:42:44

聖書はおとぎ話なんだよ。
糞真面目に考えるな。

lov********さん

2017/4/2215:17:26

多種多様な言語あるという現実、これを神の摂理だと考えたんでしょう。

言い換えれば、色々な言語があり、様々な民族があり、異なる文化があるのも自然の摂理だと。

キリスト教的には人類の始祖を想定します。
アダムとエバからスタートした人類が、聖書が編纂された時代にあっても、皮膚の色も様々だし、眼の色も色々で、言語も地域ごとにばらばら。

最近は、キリスト教圏でも「多様性の中の統一」なんてフレーズが標語のように使われているけど、キリスト教会が過去にやってきたことは、神の摂理でもある多様性を認めない方向性を持っていたよね。。。

現実を見れば神の摂理は多様性なんだけど、キリスト教の神は「嫉妬深い神」であり、多様を認めないという矛盾を孕んでいます。

キリスト教的には言語の多様性にも神の意図があり、その意図は「人類への罰として」なんだよね。。。

言語的多様性が”豊かさ”という視点は無いんだよね。

kur********さん

2017/4/2215:10:23

他の回答のとおり、あの時代には英語も日本語も

存在していません。

近代の世界で実際に起こったことから敢えて推定

すれば、言語について過去に起こった出来事は

①小さな集団の中だけで使われていた言語が

やがてもっと大きな集団の中でも使われるように

なった。

②そのような大きな集団の中で使われていた言語

が、その集団が政治的に分裂したために、言語も

分裂したり廃れていったりした。

という2つのいずれかではないかと思います。

バベルの塔の話が何らかの事実を反映していると

仮定するなら、②のような事実の反映かもしれません。

ten********さん

2017/4/2200:03:28

アダムとイブの最初から話されていたのはへブル語であり、それ以外の言葉が世界中で話される事となりました。

古代の日本語はへブル語であり、現在でもそれがいろいろ使われています。

yet********さん

2017/4/2120:28:13

多分、セム語、ハム語系でしょう。

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