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倒幕前、薩摩藩は攘夷派だったんですか?

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ID非公開さん

2017/5/2116:04:57

倒幕前、薩摩藩は攘夷派だったんですか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

kas********さん

2017/5/2321:12:36

倒幕前どころか
100年前の島津重豪の時代から開国派です。
島津重豪は家重・家治・家斉の将軍三代にわたって
開国を唱え続けた開国論者で
幕府が外交政策を改めてくれないので
琉球経由の密貿易に励んで
鎖国時代なのにヨーロッパまで名前を知られている超有名人でした。

幕末の島津斉彬・久光は重豪の曾孫で
特に斉彬は重豪にとても可愛がられており
重豪譲りの開国論者・外国通でした。

久光は斉彬とは違って個人の考えは保守的でしたが
攘夷が現実的でないことは理解していましたから
寺田屋事件で藩内の強硬攘夷派勢力を粛清しています。

生麦事件と薩英戦争は
外国人を相手に国内問題と同じ感覚で(日本人と同じように)
対処してしまったことから大きな問題になってしまった事件です。
開国か攘夷かという観点では考えない方がいいです。

ベストアンサー以外の回答

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りえさん

2017/5/2119:58:09

文久三年(1862)八月二十一日の生麦事件が原因の鹿児島藩対イギリス海軍の戦い、いわゆる薩英戦争で鹿児島藩の声明は大いに上がりましたが、受けた損害も大きく、攘夷がいかに困難であることを骨身に徹して悟りました。イギリス海軍と鹿児島藩の砲力の差異はどうしようもなかったのです。文久三年十一月、鹿児島藩は一大転換を決意し、大久保利通・岩下方平たちを交渉委員に立ててイギリス側と講和し、生麦事件の遺族扶助料と負傷者慰謝料の金25000ポンドを幕府の立替で支払い、イギリス代理公使ニール中佐に軍艦購入の周旋を依頼しました。立替金25000ポンドは結局、鹿児島藩が返済しなかったので、幕府の丸損になってそうです。

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jj8********さん

2017/5/2118:02:28

先ず攘夷の対義語は開国ではありません。

攘夷派の中にも開国を唱える考え方があるのです、それが大攘夷論です。
開国をし列強の文化文明を取り入れ富国強兵を目指す、それが成ってから攘夷を行うという思想です。
要は先ずは列強と対等になってからブッ飛ばすって事です。

その結果が日露戦争であり、太平洋戦争です。

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2017/5/2116:23:57

上層部はずっと開国派ですよ

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