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幕末(ペリー来航前後)くらいに、各藩で、下士/下卒の意見が藩論に採用されてい...

ttt********さん

2017/6/113:43:12

幕末(ペリー来航前後)くらいに、各藩で、下士/下卒の意見が藩論に採用されているのが散見されます。
この現象について、3点、わからない事があります。

・この現象が現れるのは、だいたい各藩とも同じ時期で、それはペリー来航前後なのか
→もしそうでないなら、藩によって時期にかなりの開きがあるのか、それとも、各藩ともだいたい同じ時期だがペリー来航前後ではないのか、御意見をくださると幸いです

・下士の意見の、藩主への伝達ルートはだいたいどんなものだったのか
→近習の様な立場にいた下士の意見が、名目上、上の役職の合意を経て、藩主に届いた様な形にしているものが多い様に思いますが、他にも伝達ルートにバリエーションはあるのでしょうか

・下士の意見が藩論になった際に、保守派と目される藩の上層部と揉めているケースとそうでないケースがある様に観えるのですが、揉めなかった藩には特徴があるのでしょうか


御答をくださると幸いです。よろしくお願いいたします。

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gre********さん

2017/6/119:34:12

・有力諸侯を幕政に参加させるようになってからなので、時期の開きなどありません。

・直属の上司から順繰りに伝達される場合のみです。例外はいくつかはあってもバリエーションなどはありません。

例外なく揉めます。200年以上続いてきた身分制度の根幹を揺るがす事態なのです。穏便に済む道理がありません。

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qqm********さん

2017/6/118:08:23

まず、ペリー来航前に、各藩、幕府とも行き詰まっていました。
武士に対しての俸禄は、米で支払っていましたが、他の物価に対してコメの物価が相対的に低くなってしまったのです。
石高制の江戸初期では、米の取れ高がその藩の経済力を示すものでした。
しかし、米の価格よりも、他の物価の方がどんどん上がっていき、武士は、実質賃金カットですよ。
なんので、一番ひどい影響を受けたのは、下級武士ですよ。
脱藩して武士を辞めたり、養子を町人、百姓から取って、実質、武士の位を売り払う下級武士もでてきています。
明治新政府の元で、武士が簡単に特権を放棄して、士族になり、さらに、商人、農民になってしまうのに抵抗を示さなかったのも、そういう事情ですよ。
下級武士なんて、やってられないのですよ。
なので、藩、幕府としても、下級武士の生活を助けるために、米以外の作物を作ってみたり、いろいろな下級武士が生きていける対策を施したのです。

下級武士が藩主に話すなどできませんよ。
藩主の命を受けて、家老が役人を決めて、意見を集めさせるのですよ。

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