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明が滅んだ原因について 僕の友人が明が滅んだ要因は宣徳帝が行った政策にある...

sup********さん

2017/7/1014:21:17

明が滅んだ原因について

僕の友人が明が滅んだ要因は宣徳帝が行った政策にある、と言ってたのですが正しいと思いますか?

・門難税を洪熙帝期の5倍に

・倉庫業者への課税

・運搬業者への課税

・北京から南京への通行船舶に対する課税

・果樹園や菜園への課税

ちなみに、宣徳帝から200年程度、明は存続しました

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pf_********さん

2017/7/1412:33:18

横やりです

直接的ではないですが

やはり明が滅亡した原因は
は万暦の三征(明・万暦帝の治世に起こった三大征伐)
が大きく影響しており

その中でも、豊臣秀吉の文禄・慶長の役が最大で
この時に莫大な戦費と、軍隊に壊滅的な被害を
受けているのが大きく影響しているというのが
一般的な見方ではないでしょうか

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ste********さん

2017/7/1200:26:03

なかなか難しい問題ですね。
せっかくリクエストしていただいたのですが、
私も専門家ではないため、たいして詳しくありません。
なんとか私が分かる範囲で回答します。

>正しいと思いますか?

明の滅亡の原因というような歴史の根本にかかわるような問題の場合、
正誤という二択で割り切れないことの方が多いと思ってください。

例えば、最近の出来事でいえば、都議会選で自民党が大敗しましたが、
その原因についてもいろいろな意見が出されています。
しかし、その原因の正解といえる答えが見つかっているかというと、
見つかってはいないと思います。
いろいろな原因が推測されるということが、歴史学のある意味で
基本だと思います。

>明が滅んだ要因は宣徳帝が行った政策

明の滅亡の原因=宣徳帝の政策
と断言してしまうと、その他の要素は明の滅亡に影響を与えていないのか、
という疑問が残ります。

まず、宣徳帝の政策が明の滅亡の原因という説は、
ご友人のオリジナルなのか、誰か(研究者)の学説を踏まえたものなのか
が分からないため、個人的には何とも言いようがありません。
さらに、宣徳帝の政策と明の滅亡を論理的な因果関係で
説明できなければ、その学説に信憑性は生まれません。

残念ながら、質問文に挙げられた情報だけでは、
その説の妥当性を証明することはできないでしょう。

一般的な宣徳帝の評価は、明の歴代皇帝の中では比較的名君とされています。
https://kotobank.jp/word/%E5%AE%A3%E5%BE%B3%E5%B8%9D-88716#E6.97.A5...

https://kotobank.jp/word/%E4%BB%81%E5%AE%A3%E3%81%AE%E6%B2%BB-82104...

一般的には名君とみなされる宣徳帝ではあるが、
その政策にはいろいろな問題点があった、
という指摘であれば、面白い説だと思います。

しかし、明の滅亡の最大の要因を宣徳帝の治世にもってくるとすれば、
かなり極端な考えと言わざるを得ないでしょう。

>宣徳帝から200年程度、明は存続しました

その通りです。
宣徳帝は明初期の皇帝に入ります。
さらに宣徳帝の治世は10年しかありませんでした。

例えるなら、80代で病死した人物の死因を、
10~20代のころの不摂生だと言い切ってしまうような
感じといえるような気がしました。
たしかに、それも原因の一つといえるかもしれないが、
主要な原因と言われれば、ほとんどの人は納得できないだろうという
くらい極端な意見という気がします。

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Ocupardさん

2017/7/1015:35:16

横から失礼します。
大学入試にも出る事がないかなりコアな内容ですね。
私の見解では「明が滅んだ要因は宣徳帝が行った政策」は間違いです。
あえて言うならば、宣徳帝の増税等の経済的要因ではなく、政治的要因として、宣徳帝が宦官を重用し過ぎて宦官勢力を台頭させ、それが次の正統帝の時代に「北虜南倭」の外患と重なり政治を混乱させ、結果的には。後漢・唐に同じく宦官勢力の台頭が滅亡の強い一因となったのは確かです。しかし、ご質問者様がご指摘されている通り、宣徳帝没後(1435年)から明滅亡(1644年)迄200年以上間がありますので直接的な原因とはなっていません。むしろ、宣徳帝の治世は先代の洪熙帝と並んで政治的には比較的安定した「仁宣の治」と呼ばれる善政時期を現出しています。「宣徳帝の時代が明の全盛期であった」という評価も明史研究家の間で定説化しています。
明の滅亡の原因は通説通り(これが大学入試出る内容ですね)、
①10歳で即位した万暦帝が、内閣大学士張居正が政権を取り、財政改革を行い国家財政を立て直しを行うも、張居正の死後、万暦帝が政治を放棄した事。
②万暦帝の政治放棄の時期に豊臣秀吉の朝鮮出兵(壬申丁酉の倭乱)が起き、李氏朝鮮への救援、寧夏のボハイの乱の鎮圧、播州の楊応龍の乱の鎮圧(壬申丁酉の倭乱を含めて「万暦の三征」と呼びます)等のへの出費がかさみ財政が破綻した事。
③万暦帝の政治放棄、「万暦の三征」による国家財政破綻に大して、知識人達が無錫の東林書院で東林党を結成し、顧憲成主導の東林党と宦官魏忠賢中心の反東林党(非東林党)の無意味な党争が起き政治的大混乱となった事。
になります。それは、「国豊かにして滅亡した北宋」のように、契丹・党項・女真族の侵入に対する歳幣による国家財政の悪化、王安石の新法後の旧法党と新法党の不毛の党争で滅亡に追い込まれた事と重ねられます。
横槍入れて失礼しました。

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