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なぜ室町時代の管領はもと執事なんですか?自分の考えではもと執権と思っていまし...

tra********さん

2017/7/2511:50:35

なぜ室町時代の管領はもと執事なんですか?自分の考えではもと執権と思っていました。

また、鎌倉時代の問注所の初代執事の執事とは違うものなのですか?そこがすごい混ざって流れが結びつかないので御回答よろしくお願いします。

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nic********さん

2017/7/2514:24:42

おそらく質問者さんは「幕府=武家政権」という考えだと思います。これは後世の評価にすぎず、当時は「幕府=武家の棟梁である頼朝とその後継者の家政機関」という認識です。
ですから、足利尊氏は「新たに幕府を開いた」のではなく「頼朝の正統な後継者となった」が正しいのです。
従って、幕府内の執権や管領も将軍家の「家宰」です。
室町幕府の管領が管領という名称になった経緯は前の人が書いたとおりです。
これらのことから、江戸幕府で「幕府の役職に就けたのは譜代大名だけ」というのも間違いということに気が付くとおもいます。「幕府の役職には譜代大名しか就かなかった」です。外様大名や親藩が幕府の役職に就くのは屈辱だったのです。
松平定信は家臣としての松平氏へ養子に行ったから老中になったのです。

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lit********さん

2017/7/2513:45:28

最近
現代もののドラマやマンガなどで”執事役”なんていうものがしばしば登場しますね。
ディーン・フジオカさんや松重豊さんが演じていました。

”元”貴族の名門?のご主人様に秘書的に使える使用人・・・・・

主人、主君に仕える側近

この役割だけでなく
執事と呼ばれる使用人=家来には別の、大きな役割を担っていたんです。

”貴族””名門”
このように呼ばれる家は多くの財産を持ち、多数の使用人、家来がいました。

それらを主人に代わって差配するのが執事の重要な役割。

このように家を差配することを
家宰
とも呼びます。

つまり家宰を担う立場において執事と執権というのは同義のもので
(鎌倉時代より前の)貴族の家においてもこれらが存在し
また朝廷の役職でそのように呼ばれた人もいたんです。

その”執権”を
頼朝に仕えた公家出身である大江広元が称したのが鎌倉幕府における執権職の始まりとも言われ
その執権職を時政以降北条氏が独占、世襲していきます。

鎌倉殿(将軍)に仕える家来=御家人を統率し
鎌倉殿の財産、家来を管理する家来(御家人)筆頭
そして政権のナンバー2の立場

これが鎌倉幕府における執権の立場です。

さて
鎌倉幕府内で一定の立場を保持し、北条一門に次ぐ広大な所領を有していた足利家においてもこの執事職を担う家臣、家来が存在していました。

高師直が有名ですね。

足利家における執事職は足利氏が政権の座に就くと
その政権において大きな役割を担うことになり
また執事職を巡って争いが起きたりします。

その後、その役目を
斯波氏(高経)
に依頼することになります。

ここで斯波氏の立場が問題となります。

斯波氏は足利氏の一門、分家(庶家)ですが
鎌倉幕府において足利氏から独立して御家人となっていて
その御家人=鎌倉殿の家来である、という立場において同格、対等の立場。

これまで述べてきたように
執事、執権というのは家来の立場のものが担う役目なので
もともと足利家と対等、同格であった斯波氏、高経が就くことが
プライド的に納得できなかったんです。

そこで幼い自身の子義将を執事職にさせ
自身はその後見、実質的には執事職の上位として
管領
の職に就くことにしたんです。

これ以降室町幕府におけるナンバー2の役職が管領職となります。

つまり室町幕府における役職、役割としての”もと”の役職は執事で
さらに遡って鎌倉幕府において(室町幕府における)管領職にあたる役職だったのは執権

ということになると思います。

みらいさん

2017/7/2513:20:51

元予備校の日本史講師です。

執権というと鎌倉幕府の機関というイメージが強いですが、実は朝廷の組織にも執権と呼ばれる職はいくつもありました。
執権というのはもともと私的組織(家司)のリーダーという意味です。

お金持ちの家にいる召し使いの筆頭=執事に近い存在なのです。

鎌倉幕府の執権も、源頼朝の家司の筆頭=妻政子の実家である北条家の長、つまり北条時政となります。
教科書でも初代執権が北条時政になっていると思いますが、実は時政は執権と呼ばれたことはありません。執権がまだ幕府の役職名ではなかったからです。

ちなみに、源頼朝は伊豆に流された流人の身。頼れる親族(つまり源氏)は壊滅していますので、ムコさん身分です。
サザエさん家のマスオさんに相当するのが頼朝だとすると、サザエさんが北条政子、波平さんは北条時政、カツオくんは北条義時に相当します。

鎌倉時代後半、北条得宗家の力が絶大になると、北条得宗家の執事だった人間が実権を握るようになります。これを内管領といいます。
内管領つまり執事です。
平頼綱はライバルだった安達泰盛を倒して実権を握りますが(霜月騒動)、執権北条貞時に討たれた(平禅門の乱)ことは教科書にもありますよね。

その後も北条得宗家の執事は内管領と呼ばれ、幕府滅亡時には長崎一族(長崎円喜・長崎高資)が実権を握っていました。

足利氏も同様です。
足利一門から分家した細川家、畠山家、斯波家などが執事のようになり、主家たる足利が将軍職に就いたので、補佐も管領となりました。
管領も執権も役割に大差はありません。

執権も管領もその家の執事・家宰から発展した、組織の長というほどの意味でしかありません。

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edo********さん

2017/7/2512:51:00

鎌倉時代の幕府に置かれた問注所、政所の長官を執事と言い、室町時代の途中から幕府を統括するようになり管領職に代ったのです。

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