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いかがでしょうか?? 根本中堂 ねがはくは 妙法如來 正遍知 大...

いかがでしょうか??




根本中堂

ねがはくは
妙法如來
正遍知
大師のみ旨
成らしめたまへ

宮沢賢治


滋賀県大津市 比叡山延暦寺 根本中堂 横 →地図表示

碑について

賢治が父政次郎氏とともに、比叡山延暦寺に参詣した時に、詠んだという歌です。
この年の1月から、無断上京して国柱会の活動をしていた賢治を、政次郎氏は関西方面の旅行に誘いました。

当時、浄土真宗の篤信家であった父と、「純正日蓮主義」を掲げる国柱会に心酔して家出した賢治は、深刻な「宗教対立」にありました。
このような状況をなんとか打開しようと、政次郎氏は延暦寺に着目したようです。

親鸞も日蓮も、若い時には延暦寺で修行をした経歴がありますから、この場所は二つの宗派のいわば共通のルーツなのです。この延暦寺に父子で参詣して、浄土真宗も日蓮主義も、もとは一つの幹から分かれた枝にすぎないことを賢治に実感させれば、家の宗派に対する排他的な態度もやわらぐのではないか、そう政次郎氏は考えたのではないでしょうか。

実際にこの時に、父子のあいだでどのようなやりとりがあったのかはわかりませんが、またいったん東京に戻った賢治は、8月に家から「トシビョウキスグカエレ」の電報を受けて、けっきょく花巻に帰ります。
そして翌年から、『春と修羅』の時代がはじまることになるのです。

賢治が比叡山を訪れたのは、生涯でこの一度きりのようですが、『春と修羅 第二集』の「一四五 比叡(幻聴)」という作品には、まるで夢の中の出来事のように、僧や琵琶湖が現れます。
父と二人で山に登り、大寺に参拝した記憶は、賢治の中にもしっかりと刻まれていたのでしょう。
さて、この歌に詠まれている「妙法如来」は、根本中堂の本尊として祀られている薬師如来を指しているようで、「正遍知」とは、「正しく悟った人」という意味の仏の十号の一つですが、やはりその如来のことと思われます。
「大師のみ旨」とは、最澄が十九歳で入山した時の「願文」、とりわけその中の「回施して悉く皆無上菩提を得せしめん」という部分を指していると言われています。
非妥協的な法華経至上主義をとっていたこの頃の賢治にしては、ルーツとはいえ他宗の開祖に対して、意外なほど素直な尊崇を歌っています。このような素直さは、この時の旅行における父子の関係を反映しているのかも知れません。

賢治の短歌というと、未熟ながらも病的なほどの感受性を現した諸作品が印象的ですが、それらと対照的にこの歌は、平板なようでいてどっしりとした風格を持っています。「妙法如来」とか「正遍知」というような仏教用語が安定して配されていて、とても二十代前半の若者が詠んだ歌とは思えません。妙に年寄りじみているところが、また賢治らしい感じもします。


歌碑は、延暦寺の本堂にあたる「根本中堂」の横に建てられています。春になると、碑の前にあるしだれ桜が美しい花をつけます。
また、毎年9月21日の賢治忌にはこの碑の前で、比叡山延暦寺が直々に「宮澤賢治忌法要」を執り行い、「関西・宮沢賢治の会」の会員や、その他の賢治ファンが参列します。
ここは関西地方にあっては、あの羅須地人協会跡の「賢治詩碑」に相当するような、賢治の聖地なのです。

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2017/8/608:17:50

ある宗教を信ずる事によって(出会う事によって)、明晰の眼力を与えられる人がいます。今までには見えなかったものが見えてくると言う事です。自覚しなかった事を、自覚させられると言う事です。
愛の実体が、死が、罪が、明らかに見えてくるために、信ずる事によって、却って苦悩が深まるのでしょう。しかし、信じられなかった時からは脱出出来たのです。。この事で生じた感謝の念が、厳密に言えば苦悩を伴った感謝の念が、信仰の実体ではないでしょうか? 信仰、宗教心とは苦いものに違いないと思うからです。信仰心は、決して安心をもたらすものではないと思うからです。そして、そこから祈りが湧き出て来るのでしょう。(私は滋賀に生まれて滋賀に住んでいます。浄土真宗門徒です。)

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