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南雲忠一の評価について 真珠湾攻撃で第2次攻撃をせず港湾施設を叩かなかったとい...

ths********さん

2008/7/1316:44:37

南雲忠一の評価について 真珠湾攻撃で第2次攻撃をせず港湾施設を叩かなかったといわれるが敵空母部隊の所在が分からず反撃を恐れたのもあるでしょうが第1次攻撃第二波の 時点で損害が急増しており第2次攻撃をかけると虎の子の搭乗員にさらなる損害が予想され今後の作戦(機動部隊はこの作戦後南方作戦に投入されることになっていたそうです)に支障をきたすと判断したのなら司令官としては妥当な判断なのでは?
ミッドウェイ海戦で山口二航戦司令の直ちに攻撃すべきの進言を拒否したのも発進させていたら帰還中のミッドウェイ攻撃隊の多くは燃料不足で墜落してただろうし仮に攻撃隊を発進させても護衛がつけられず全滅してたでしょうから拒否して態勢をととのえてからの発進は間違ってないのでは?(さらにいえば米軍の航空写真よりこのやりとり直前の蒼龍甲板上に航空機が全然ならんでいないのが確認されており仮に採択していても発進準備に時間をとられすぐに反撃出来たわけではない)
南雲司令は素人なりに最善をつくそうとしたのではと思います。むしろミスの責任は素人のスプルアンス司令を正しくサポートした米機動部隊幕僚と違い南雲に誤った判断を下させた一航艦司令部幕僚にあるのでは?

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kot********さん

2008/7/1319:16:03

南雲忠一って、ある意味可哀想な人です。
GF長官・山本五十六に嫌われ、不得意な空母艦隊を任され、その後ただ一人責任を取らされ、サイパンで自決・・・「自業自得」的な部分もありますけど。

山本に嫌われたのは、陸軍の若手士官の「下克上」的活動に触発されたからで、山本同様の良識派・井上軍務局長を脅迫したり、条約派で山本の大親友であった堀を追放するのに一役買ったからでした。
開戦前の会議で、「講和が実現しても、一度出撃したら戻るのは困難だ」と言うと、山本に「百年兵を養うのは何のためか!言うことを聞けぬと言うなら、辞表をかけ!」と怒鳴りつけられてしまいます。
真珠湾攻撃が不徹底と思ったGF司令部は、「更なる攻撃を督促電しては?」と言う意見に山本は「やるならとっくにやってるさ。南雲はやらんよ」と、突き放しています。

南雲司令部の数々のミスは、南雲が頼りきっていた源田実航空参謀の判断ミス、という説が今は一般的です。
とはいえ、成功は司令官の手柄、失敗は参謀の責任では、立つ瀬がないでしょう。
真珠湾では、結局「海軍は南方資源目当てに開戦したのに、こんなところで損耗するのはあほらしい」という考えで、山本の狙いが最後まで理解できなかったのですね。(山本の考えが妥当かどうかは、別にです)

ミッドウェイでは、山口の意見が正しい。
インドでも東南アジアでも経験があるのに、「航空戦は速戦即決」と言うことが理解できなかったようです。
実際、セイロン島で発進直前敵機に襲われかけて「ヒヤッ」としたこともあったのに、何の反省もなかったわけですから・・・。
航空甲板をパーにされた後に、「帰訪機がどうの」と言っても、始まりますまい。「早く甲板を空け、爆弾だらけの状態を何とかしなければ・・・」と言う危機感が司令部には理解できなかった。
攻撃については、その後考えればいい。実際、空母が次々沈んでしまった結果、「飛龍」単独の攻撃を見れば、「護衛がどうの」「帰投機がどうの」は、司令部の言い訳でしょう。

むろん、草鹿・源田の責任も免れないのに、のちにGF参謀長、自衛隊参謀になっているというのは、不公平ですけれどね。南雲一人、航空機もないサイパンで、斉藤司令官とともに自決させられたわけですから・・・。

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jim********さん

編集あり2008/7/1621:43:35

日本海軍の指揮官は年功序列で決める事が決まっていて本来水雷の専門家の南雲忠一が機動部隊の長官になったのは本人にとっても不幸だったのでしょうね。誰しも専門外の仕事を任されたら慎重になってしまうのは無理も無いでしょう。結果論で見れば真珠湾で再度攻撃をしていれば…。ミッドウェイで陸用爆弾で援護無しで攻撃していれば…。南雲の慎重な面がマイナスになってしまったから責められるだけで、専門外の南雲を長官にした海軍の機構に問題があるんでしょうね。
真珠湾で機動部隊全滅!!やはり責められたでしょうね。

わっかさん

2008/7/1321:28:52

というより、機動部隊同士の航空戦がどういうものであるかを、日米両軍ともに理解していなかったというべきでしょうね。その直前に史上初の機動部隊同士の激突となった珊瑚海海戦があり、日米とも錯誤の連続といった有様でした。そのわずか1ヶ月後に行われたのが、このミッドウェー海戦。まだまだ不慣れな戦いだったのですね。
結果的に勝利したアメリカの戦いぶりも決してほめられたものではありません。進攻させた艦載機は、機種別にばらばらになり、雷撃隊は単独攻撃をせざるを得ず、ほぼ全滅。日本の機動部隊を壊滅させた急降下爆撃隊も、あやうく迷子になりそうになって、かえって絶妙のタイミングで攻撃することになったのですから。いずれにしても鮮やかというよりは無様な戦い方です。
ミッドウェーの時点で、機動部隊同士の正しい戦い方など、南雲にも、草加にも、源田にも、それどころかフレッチャーにもスプルーアンスにも解かってはいなかったのですよ。
その4ヶ月後の南太平洋海戦で、角田覚冶が、艦隊も飛行機も上手くなったなあ、と洩らしたそうですが、そういうレベルの話だったんだと思いますよ。誰にとっても未経験の戦いが続いたのですから。
まあ南雲忠一に限らず、日本海軍の人事は実力主義ではなく、学校の成績順。しかも工業力の低さからか、損害を過剰に恐れる傾向があったのは確か。山口多聞や角田覚冶は極めて例外的存在なんですよ。

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