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幕末についての質問です 尊皇攘夷論を唱える人は(佐幕派=幕府側)だけだと思っ...

pot********さん

2017/8/1022:17:36

幕末についての質問です

尊皇攘夷論を唱える人は(佐幕派=幕府側)だけだと思ってましたが、
倒幕派も尊皇攘夷論を唱えていたのでしょうか?

尊皇攘夷論とは、どっち側の論理なのでしょう

か?
(水戸藩とか?)

宜しくお願いします

補足何だか深すぎて驚いてます!
大義名分というか、建前というか?
本音ではなく、そう掲げなければ、
知らない間に(朝敵)にされるから、
表向きそうしたのですか?

混沌とした時代だから、
何とか(朝廷を見方に付けて)←表向きは

大義名分、表向き、建前、
(尊皇攘夷)とは、そういう便利なことば?

でも、いつからか(大きな声で開国)と言えたのですかね?
大政奉還以後?
戊辰戦争以後?

深すぎましたね・・この質問

何ですか?尊皇攘夷とは・・

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ojy********さん

2017/8/1023:57:06

逆ですよ

幕府は開国しているんだから攘夷ではない
反義語を書いてみます
攘夷ー開国
倒幕ー佐幕

そして
左幕派も倒幕派も攘夷派も開国派も「尊王」です
当時、尊王論は一般常識でした
尊王と付けるからややこしくなるんですよね
みんな尊王なんだから、付ける必要ないと思ってます
ただ、過激思想になると勤王と言われていたみたいです

まとめると尊王開国が佐幕派
尊皇攘夷が倒幕派
当然、水戸は尊皇攘夷です

↓に尊王討幕に変わったとありますが
それをいうなら尊王佐幕が尊王討幕に変わった
と言わないとおかしなことになります
攘夷と倒幕は反義語ではありませんから

あえて言うなら幕府側は「尊王開国佐幕」
長州は「尊皇攘夷倒幕」となります
ただしこれらは首脳部の方針であり個人的には色んな考えの人が居たでしょう

例えば孝明天皇は「尊王攘夷」ですが「佐幕派」です

  • ojy********さん

    2017/8/1205:15:35

    補足

    だから尊王と攘夷は別に考えなければいけません
    尊王は表向きも何も本音です
    あえて尊王と付けるのは、天皇が攘夷だったので
    天皇の意思を尊重しろということです

    長州は最初攘夷でしたが4カ国艦隊と戦争し
    攘夷の愚を悟ります
    そこで首脳部の考えは密かに開国になります
    (薩摩首脳部は最初から開国派)
    しかし、攘夷を唱えて幕府を追い詰める道具にします
    なぜなら、天皇も攘夷だったので幕府を攻めやすかった

    余談ですが、天皇は佐幕派でした
    そして最終的に開国やむなしという考えになります
    そうなると天皇は倒幕派にとって邪魔な存在でしか無くなります
    が、しかし、このタイミングで若い天皇は崩御します
    暗殺説が言われるのはこういう事情があるからです

    攘夷を開国に転換するのは鳥羽伏見以降です
    神戸事件、堺事件の弱腰外交を見れば
    この時点で完全に開国に方向転換しているのが分かります

    上の事件は、薩長は攘夷と思っていた一般人の兵士が起こした悲劇です




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sty********さん

2017/8/1314:21:18

まず、尊皇攘夷の言葉の意味は

尊皇・・・(意訳ですが)天皇の考えにしたがって、
攘夷・・・夷敵を攘う、つまり外国人を倒す

と、いうことです。

黒船がきて開国を迫られた際に、日本としては開国をしたくないというのが基本的な考えでした(当時、中国が阿片戦争などでぼろぼろになっていたため、開国したら日本もそうなると思っていた)。しかし、開国を断るにも外国は最新の兵器を持っており、武力では勝てないので、しょうがないが一時的に開国して外国に対抗できる力を蓄えるべき、というのが幕府。逆に、当時の天皇は外国人嫌いなうえ、戦争のこと、武力のことなどわかっていなかったので、外国人なんか打ち払ってしまえ!という考えでした。

この時点で論争になるのは上記したとおり、

開国派(外国人には勝てないのでとりあえず開国する)
攘夷派(外国人と戦争してでも鎖国を続ける)

のふたつです。

当時、政治・国家運営は幕府がおこなっており、天皇は名目上のトップであるが、お飾りに過ぎず、何の力ももっていませんでした。ただし名目上ではあってもトップには変わらないので、攘夷派の言い分としては「トップの天皇が言ってるんだから」というもので、それが攘夷派の大義名分として一番説得力があり、スローガンとして効果的なので、尊王攘夷という言葉がでてくる訳です。

この、幕末の初期段階では、まだ倒幕・佐幕という分類に分ける必要はなく、あくあまで開国派・攘夷派という考えで十分で、尊皇攘夷=倒幕という考えにはなりません。同じ尊皇攘夷という言葉でも、幕末初期と後期では意味が微妙に違ってくるからです(ここがとても大事です)。

その後、論争にはなるのですが、政治をおこなっているのは幕府ですので、諸外国には勝てないので現実的な考え方として開国をおこなったのですが、これに納得いかないのは攘夷派です。幕府のおこなった開国を弱腰外交だとみて、幕府の権威も落ち、幕府に逆らって攘夷派の長州藩が下関戦争をおこないます。また、(これは攘夷派だからという訳ではありませんが)薩摩藩も薩英戦争をおこないます。

これらの幕末中期において、長州・薩摩などの藩は外国の力をその身をもって知り、攘夷は非現実的であり、一時的にでも開国をして、諸外国の技術などを学び、力を蓄えることが現実的であるという考えに変わります。そして、尊皇攘夷の意味が、「一時的にでも開国をして、国内の考えを統一し、力を蓄えてから、天皇の言うとおり攘夷をおこなう」というものに変わってきます。そう、最初に幕府が示した考え方です。しかし、もう幕府に逆らってしまったので後に退けなくなってしまっています。なので倒幕という動きになっていくわけですね(このあたりから、倒幕・佐幕という考え方が露になってきます)。

その後、新政府軍は天皇を旗印に幕府と戦争となりますが、幕府側(正確には奥羽越列藩同盟側)も皇族をないがしろにしているわけではなく、明治天皇の義理の叔父かなんかをトップにしてるので、最初から最後まで尊皇攘夷は尊皇攘夷なんです。

なので、長くなりましたが、尊皇攘夷論とはどっち側の論理という質問には、どっちもそうとなります。どっちも尊皇攘夷で、ただ倒幕か佐幕かという話です。ただし、新政府が政権を取り歴史の勝者となっているので、テストで尊王攘夷はどっちと聞かれたら新政府側がそうとなるのが正しいでしょう。

kam********さん

2017/8/1100:23:03

当時、政権を持って諸外国と交渉していたのは幕府でした

外国との交易を避け鎖国を継続するのは不可能と幕府側も討幕側も考えていましたが、討幕の為には尊王攘夷が良いと考えたのです
政治スローガンですね。幕府を困らせたかっただけです

馬鹿な方は攘夷ではなかったのか?と後で気づいたのでしょう

gt9********さん

2017/8/1100:09:14

尊皇攘夷は倒幕派と考える人の方が、一般的には多いと思いますけど。

ドラマでも大概は倒幕派が唱えてますから。

佐幕も倒幕も尊皇です。

佐幕には攘夷派もいれば開国派もいる。

倒幕にも同じようにどちらもいます。

なので、大きく分けると、

佐幕攘夷
佐幕開国
倒幕攘夷
倒幕開国

と4つのグループがあると考えた方が良いでしょう。

sio********さん

2017/8/1023:31:57

幕府も長州も最初はみんな尊皇攘夷です。
その証拠に高杉達は横浜の英国領事館?を焼き討ちしています。

長州、薩摩は、馬関戦争・薩英戦争などをきっかけに尊皇倒幕へと変わっていきました。

tan********さん

2017/8/1022:21:55

建前上誰も否定できないのが 尊皇攘夷。

幕府側の使う武器も薩長側の使う武器も。欧米から買った武器
ってのと同じです。

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