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五代十国時代の後漢(こうかん)の首都が「大梁」になっている辞書や事典があるの...

nek********さん

2017/9/1603:33:37

五代十国時代の後漢(こうかん)の首都が「大梁」になっている辞書や事典があるのですが、

後漢の首都は「ベン京」または「開封」ではないのですか?

突厥沙陀部の劉知遠が、戦国時代の地名に戻していたのですか?

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tak********さん

2017/9/1607:54:27

開封(宋の名:東京)の名の由来は春秋時代に遡り、当時この地方を支配していた鄭の荘公が現在の開封の近くに城を築き、そこに啓封と名づけた事から始まる。後に前漢の景帝(劉啓)を避諱して、同義の開の字に改められた。

戦国時代には魏の領域であり、大梁と名づけられて首都となった。

東魏時代には梁州、北周時代には汴州(べんしゅう)と呼ばれた。

唐から簒奪した朱全忠はここを首都として後梁を建てた。その後の五代政権も後唐を除いて全てこの地を首都とした。

後周により汴州(べんしゅう、汴はさんずいに卞)と改称された。

その後周より禅譲を受けた趙匡胤により建てられた宋は東京開封府と称して、ここを首都とした。

春秋 啓封
前漢 開封
唐 開封
東魏 梁州
北周 汴州
後梁 汴州
後唐 汴州
後晋 開封
後漢 開封
後周 汴州
宋 東京開封府

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