ここから本文です

小麦は、粥で喰っていたのですか。 ローマの頃は、粥が多かったのですか。 小...

rit********さん

2017/10/122:27:27

小麦は、粥で喰っていたのですか。

ローマの頃は、粥が多かったのですか。
小麦をメリケン粉に挽いて、塩と酵母を加えてパンにするのは一般的ではなかったのですか。
そういえば、ROMEと言

うドラマでも兵は粥を食っていたような気がします。
上の奴は、パンを食っていたシーンがありましたけれど。
普通は、粥ですか。

閲覧数:
65
回答数:
2

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

end********さん

2017/10/212:21:44

紀元前7000年頃にメソポタミア流域でコムギが栽培され、紀元前4000年頃に無発酵の堅いパンのガレットが現われます。ガレットは今日でも、キリストの降誕祭を祝う焼き菓子です。ヘブライ人により行われたとされる製パン技術は、古代エジプトに伝えられ、カイロのエジプト考古学博物館には遺跡から発見されたパンが保存されています。「エジプト人はパン食い人だ」とは、紀元前5世紀にエジプトを旅したヘロドトスの言葉。ちなみに、ローマ人はギリシア人から「粥食い人」と呼ばれました。
この後、エジプトで発達した発酵型の製パン技術はギリシア・ローマに伝えられ、ギリシアの貴族の食卓は白パンで飾られるようになります。ローマ軍がギリシアに上陸し、多数のパン焼き職人を奴隷としてローマに連れ帰ると、製粉・製パン技術はさらに大きく発展するようになります。それまでのローマ人は粥を常食としていたのですが、ギリシアの美味なパンにより、ローマ人は美食に目覚めたとされています。マルクス・アウレリウス帝の頃のローマには254軒のギルドと呼ばれる共同製パン所がありました。
(『たべもの起源事典 世界編』を編集)

製粉する技術のなかった時代の穀類は、粒食としての利用に限られました。古代人は炒ったり、粥にしたりして食べていました。この段階では、コムギよりもオオムギの方が利用価値が高かったのです。粥には、ツブガユ・アラビキガユ・コナガユがあり、オートミールはアラビキガユの一種です。なので、ローマ人が粥にして食べていたのがコムギとは限りませんね。

この回答は投票によってベストアンサーに選ばれました!

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

えごま油さん

2017/10/122:35:38

戦地では、手間をかけてパンなど焼いている余裕がなく、粥だったと考えるのが妥当な気がしますね。

この質問につけられたタグ

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる