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日本史 歴史 孝徳天皇はどうして都を飛鳥から摂津に移したのですか?

織田信長に捨てられた里芋さん

2017/10/1800:01:17

日本史 歴史


孝徳天皇はどうして都を飛鳥から摂津に移したのですか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

編集あり2017/10/1816:48:14

「大化改新」と呼ばれる新しい政治を始めるためには、旧勢力(蘇我本宗家)の本拠地である飛鳥から離れて、新しい場所に新政府を作る必要があった、というのが普通の回答ですね。
皇極天皇と孝徳天皇の父は「茅淳王」(舒明天皇の異母兄)ですが、茅淳海といえば現在の大阪湾ですから、茅淳王の子・孝徳天皇はもともと難波に地盤のある人であったと思われます。
孝徳は中大兄に担がれただけのお飾りである、と昔は考えられていましたが、最近では山背大兄の殺害も乙支の変も、孝徳が首謀者と言ってもいい、と言われるようになっています。「天下を取った孝徳が、自分の地盤に都を持ってきた」というふうな単純な見方もできます。
孝徳の「失脚」とともに都は難波から離れましたが、孝徳は難波に残って憤死した、という話ですので、難波は「孝徳が実権を持っていた間の都」と言えるかと思われます。

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ヨシヒコさん

2017/10/1810:11:58

実権を握っていた中大兄皇子が、朝鮮半島の失われた領土を回復する切っ掛けとするべく滅亡した百済救済のために、朝鮮半島への出兵を考えていたから、難波の津の近くに遷都したのです。

pin********さん

2017/10/1806:37:31

「日本書紀」は「孝徳(皇極に弟)」と言っていますが、「乙巳の変」で、「九州倭国王が蘇我を粛清して、近畿の拠点として法隆寺とともに、難波に大宰府(遠の朝廷)の副都を建設したのです」。

海が見たくなったから…ではなく、外国からの使節をもてなすために、港に近い場所に都…と言うか宮殿を移しました。
四天王寺の近くです。
そして、外国からの使節をもてなすための建物なども作りました。

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