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クリスチャンはやめたけど、心のどこかでいまだに信じているっておかしいですか?

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ID非公開さん

2017/11/1723:49:22

クリスチャンはやめたけど、心のどこかでいまだに信じているっておかしいですか?

教会を転々とした信仰生活でしたが、
やめて15年たっております。

しかし、いまだに心の奥底で信仰心みたいのがあって、
毎日祈ったり、賛美を歌ったり、
長年の信仰生活が心と身体にすっかり染みてしまったみたいで
そのことがあたまからなかなか離れられません。

歌うことが好きな性格でもあって、
ふと気づくと賛美を口ずさんでいる自分にハッと気づくことがあります。
いまだに、信仰心があるっていうのは、クリスチャンの証なのでしょうか?
ただ、単にあたまがおかしいだけなのでしょうか?

みなさんの意見が聞きたいです。

閲覧数:
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回答数:
14

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ベストアンサーに選ばれた回答

spe********さん

2017/11/1807:46:30

ようするに、キリスト教会という宗教団体の枠組みが嫌で止めたんでしょうが。
だが、クリスチャン、私はカトリックだからキリスト者というが、その信仰は残っているんでしょ。

これは、プロテスタントの考えで行くと、教会に行かずとも信仰は保ち続けることができる。それでいいじゃないですか。

無教会主義のプロテスタントもいるし、ここでよくカトリックに牙を向けるbreath of blessing君なんか、自分が教会飛び出しちまったもんだから、クリスチャンには下手な教会ならそんなのもん必要ない!ってあちこちに書きまくっているし。

まあ、いいんじゃないですか。
アメリカでも、Non Church Christianってたくさんいますよ。

ご自分の信仰スタイルを貫けばいいんですよ。

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    質問者

    ID非公開さん

    2017/11/1819:46:50

    そうですね、同感というか、ガッテンです!!
    信仰もフリーランスでいいんじゃないでしょうか?

    群れに属さず、権威に反し、束縛を嫌う、
    そんないっぴきおおかみのクリスチャンがいても
    おかしくないとおもいますね。

    信仰は多種多様にもわたるといいますから、
    必ず教会に来なさいではないです。

    最近ではインターネットのライブ中継で教会の礼拝に
    参加できますからね~、千差万別ですよ、

    時代の流れによって信仰の持ち方も違ってくるんですよ。
    それでいいじゃないですか~。

    形にハマるなんて、そんな~、古くさい信仰は嫌ですよ(^^;)

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質問した人からのコメント

2017/11/18 21:32:03

私の考えや価値観に一番近かった回答でしたので
ベストアンサーとさせて頂きました。

貴重な回答ありがとうございます。

「アメリカでも、Non Church Christianってたくさんいますよ。」
という意見にグッと来るものを感じました。

そうですね、自分に無理強いして生きることは、ないですよね。
なんだか心の重荷が取れました。ありがとう^^

ベストアンサー以外の回答

1〜5件/13件中

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ama********さん

2017/11/1816:25:15

実質は「クリスチャンをやめた」のではなく「教会をやめた」のでしょう?
教会をやめても信仰が無くなるわけではありませんよ。

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bre********さん

2017/11/1816:02:02

✖賛美歌を歌っているだけならば、ただ「懐メロ」を口ずさんでいるだけかもしれません。

△主イエス様の御名によって祈っているならば、信仰が続いている可能性があります。

○聖書を読んで、信じ、従おうとしているならば、あなたはクリスチャンをやめた(神様から離れた)のではなく、地域教会(人間組織)から離れただけなのでしょう。

本当に新生したクリスチャンというのは、「地域教会に行く」というより、「キリストの御からだである教会の一部になっている」のです。


ただ、今の状態はあまり良いとは言えません。一人だけで信仰生活を送ることは、(特殊な事情がない限り)ほぼ不可能に近いからです。

今のところ、かろうじて神様には繋がっているけれど、徐々に衰退して行き、ついには完全に棄教する危険性もあります(そうすると死後天国へは行けず、永遠の地獄に行きます。あなた自身の「選択」のゆえに)。


以下の「福音」を現在も信じているのか、確認してください。

「イエス・キリストによる救いの知らせ(福音)」
http://inochinomizu.hatenablog.com/entry/2017/07/01/113257


下記も参考にどうぞ。

「教会に行く必要はあるか?洗礼を受ける必要はあるか?」
http://inochinomizu.hatenablog.com/entry/2017/07/05/134959

「2種類の『悔い改め』について」
http://inochinomizu.hatenablog.com/entry/2017/07/05/202121

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fur********さん

2017/11/1814:16:04

選ぶのは貴方ではなく神ですから。

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the********さん

2017/11/1811:15:47

あなたを神様が呼んでおられるのです。

帰って来て下さい。

これを聞いた人々が、「それでは、だれが救われることができるのですか」と尋ねると、 イエスは言われた、「人にはできない事も、神にはできる」。
ルカによる福音書 18:26 - 27 JA1955
https://bible.com/bible/81/luk.18.26-27.JA1955

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fak********さん

2017/11/1811:02:04

自分が生きているのですから、自分を信仰にはめ込むことはありません。

自分のいまを確認してみることが第一番目です。いまは「信仰心がある」のではないでしょう。キリスト教を信仰するとは、罪、救い、救い主はキリストであるイエス、を信じて告白できる心を持っていることですから、単にキリスト教の知識を持っていることや共感するというのは信仰とは違います。

でも、人間は生きて変わってゆくものです。信仰を決心したときの年齢から十年、二十年、それ以上と経ても心も知識も変わらないとしたら人間が成長することを否定するものですね。新たになってゆく知識と経験によって、信仰生活から離れるには次のパターンがあります。

1.離教:卒業やドロップアウト。いずれも自分の意思で離れる。教会とは学校です(旧教は知らず、プロテスタントの場合)。牧師は先生で信徒は生徒。説教は授業。学校なら卒業があって当然。一生同じ学校に入るのはむしろ落ちこぼれ。

2.棄教:こころならずも離れる。むかしの切支丹弾圧で棄教を迫られた例があるし、今なら親など外部の圧力でしょうか。

3.背教:積極的にキリスト教信仰を否定して離れる。離れたあと邪教であり間違いであるとして反教の活動をする。古くはハビアンが居ますし、現代でも牧師だったひとでも明確な確信と豊富な知識と深い洞察のもとに破教論を立てているひともいます。信念にもとづいて行動しています。
ちなみにこのカテで汚い言葉を吐いて口撃しているやからは比べるべくもないただのチンピラレベルですが。

ですから離教は自分の成長の証し。背教は信念と行動力の証明。なにも恥じることはありません。生きているのは自分です。だいじなことは歩みをやめずに新たな知識は取り入れるべきということです。

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