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日蓮聖人の謗法断ずべしが発せられた考えの原因は、何があったのでしょう

OK_新世界さん

2017/11/2911:33:53

日蓮聖人の謗法断ずべしが発せられた考えの原因は、何があったのでしょう

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ベストアンサーに選ばれた回答

2017/11/2917:49:44

日蓮は鎮護国家での日本仏教の踏襲地・奈良で出家し、比叡山や
高野山で修行を重ね、末法思想で悟りを放棄した他力本願の鎌倉
仏教に対し、鎮護国家仏教への原理主義なので、政治的な宗教感
性であり当時の大衆化の仏教界を非難せざるを得なかったのです。

当時の中国仏教は、数万巻を越す経巻群でのインド仏教各派から
宗派の経巻を倣って、中国での宗派を建てこれを日本仏教界が踏
襲しましたから、唱題仏教でもあり日蓮が叡山から法華経を選択
したので、日本独自の体裁でも所詮、中国に本質の在るものです。

中国の様に大宝律令(701年)で僧尼令を定め、僧の妻帯や飲酒等
国が僧侶を育成・管理する定法が廃れ、親鸞の様に妻帯したり、
町には飲酒する僧も現れた時代ですから、日蓮の鎮護国家の政治
的仏教の原理主義では『悟りを語らず、悟りを語っても衆生の救
いが無かったり、共に備えても鎮護国家で無かったり、教義理解
が歪んだり、日蓮に合致する宗派がない』ため、末法思想が指す
白法隠没の仏教界に【謗法断ずべし】として顕れたのでしょうね

質問した人からのコメント

2017/12/1 10:38:54

鎮護国家の伝統継承なら、日本仏教の原理主義ですな

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dmq********さん

2017/11/3002:55:51

日蓮さん
---
忍性(良観)が住職とするお寺が火災に遭った時。
『王舎城事』
今生に法華経の敵(忍性のこと)となったから、皆の人の見せしめとするようにと梵天・帝釈・日月・四天等に申しつけてあったのです。私が法華経の行者であるか否かはこの火事の一件をもって見ればあきらかです。
---
『十一通御書』「わたしは日本一の宗教家です。お経の中でもわたしのことを第一人者と呼んでいます。わたしは外国の侵入軍を撃退できる大将です。あなたはすぐわたしの弟子になりなさい」
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パウロさん
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「たとえわたしたち自身であれ、天使であれ、わたしたち(パウロとパウロの信奉者)が、あなたがたに告げ知らせたものに反する福音を告げ知らせようとするならば、呪われるがよい。わたしたちが前にも言っておいたように、今また、わたしは繰り返して言います。あなたがたが受けたものに反する福音を告げ知らせる者がいれば、呪われるがよい。」 (ガラテヤ1・8-9)
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「わたしがキリストに倣う者であるように、あなたがたもこのわたしに倣う者となりなさい。」
(コリントⅠ 11・1)
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通ずるものがありますね。

twe********さん

2017/11/2922:14:17

心のせまさ(・o・)

sgi********さん

2017/11/2912:40:14

「謗法を断ずべし」を別の解釈から読み直すならば「一凶を断つ」のような表現ができます。
仏法は世間全体と解釈されると日蓮大聖人は世間と離れたように見える仏法であるがそれ体は世間の全体そのモノなのであると言われます。世間を離れて仏法がないとの仰せです。
その世間はどのような原理によって秩序付けられているかというと日蓮大聖人によれば一言、「道理」と述べられ、「道理と申すは主に勝つものなり」と断言されます。
この世間で言われる道理こそ仏法の法則そのものであり、これを正法、つまり法華経の骨髄であると解釈されるわけです。
すなわち世間の道理が仏法であるならば、だれがどのように解釈しようとも答えはひとつ、日蓮大聖人の求め解き明かす仏法とは日蓮大聖人を信じようよ信じまいとそれらに関係なく誰にも適用され誰もがその道理に従わねばならぬ道理、また法そのものであるということです。これこそが日蓮仏法を正法と呼ばせる法(法則)なのだと言い、これに違背するものを謗法だと言われているのです。

これをもとにして日蓮大聖人が唱えられた南無妙法蓮華経の題目との関係を考えていくということになりますが、その前に世間一般の人々と正法たる法華経との関係をみてみると興味深いことがあるのが分かります。それは、世の中で幸福であるとか自分の思いが叶って満足しているとか成功している人の成功体験は法華経に示される法と一致しているということです。その方々ら法華経を知っているとか知らないとかは全く関係なく体験的にそうした法華経の精神を自ら理解して実践したことで実のある人生を築いているということです。

しかしそれは誰もがそうできるというものではなく、数量的に見るならば限られたほんの数%程度の人達にすぎないでしょう。その限られた人達だけが体験し成功した体験をより大勢の人達にも理解し同じように人生の成功者へと導いていけるようにと表された法が日蓮大聖人が唱えられた南無妙法蓮華経であるということです。

一凶を断つとはこの人生を狂わせる思考性癖生まれなが持つ個体差など、それらを法華経のもつ力によって大きく転換させていく。この正法の力を信じることによって多くの人が人生を有意義なものへとしていける、そのため人生を暗いものにしてしまう謗法はぜひとも断つ必要があるのです。人生を暗くしてしまう思想宗教を自ら否定し捨てる。もしこの謗法を容認し自らが進んで実践してしまったならばそれは自らの人生を暗い世界に追いやってしまうことになってしまいます。

世の中には何が正法で何が謗法であるかが明確ではありません。
結局最後には自分が体験的に取捨選別してより良いものだけを自分の中に取り込んでしまうようにするしかないのでしょうが、よく学んでできるだけ効率的に人生を実りあるものへとしていくようにしていければと思います。

ksjk58さん

2017/11/2912:14:12

日蓮大聖人御在世当時「鎌倉時代」は、疫病・蒙古襲来・天変地異が頻繁に起こり、日本の危機だった事ですね。その時代は 念仏宗と鎌倉幕府が仲良くしてた事を大聖人は念仏宗が謗法だから日本が危機に成って居ってると幕府に進言したんです。だから 正しい仏法「法華経」を受持し幕府を納めるように詳しく説いた「立正安国論」を鎌倉幕府に送付し教えを説いたという事ですね。「立正安国論」とは なんで日本が危機なのか、どうしたら危機を乗り越えられるかと言う立証を説いた内容ですね。

nak********さん

2017/11/2911:52:31

「自分が一番正しい。絶対に正しい」という思い上がりです。
さらに、いくら頭がよくったって出自が低い日蓮、さらには「法華衆」が叡山では少数派ということもあって、絶対に出世できなかった。

だから叡山の主流派「浄土」に加えて密教を攻撃し、幕府に接近しようとして拒絶されて「武家信仰が篤い禅」を誹謗し、浄土信仰を攻撃していたら真言律の叡尊に厳しい糾弾を受け、律も攻撃対象に加えた。

気の毒な人だったとも思えるが、コンプレックスがその根底にあった、宗教界での栄達を求めた俗物そのものな人でした。

バカげた他宗派攻撃なんかしてなきゃ、日蓮にももっと違う人生があっただろうし、その後の日蓮宗そのものの在り方もずいぶんと違っていたと思いますよ。

真言律叡尊は、対立していた叡山の親鸞を擁護した。
叡尊には浄土信仰はなかった、彼は来世ではなく、この世をそのまんま浄土にしようと考えていたのです。

自分と異なった信仰をも受け入れる。
その度量の大きさと、日蓮のそれとを比較すれば、ご理解できるかと思います。

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