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ブッダは修行は無駄だった!と悟るけどなぜみな仏教徒は修行したいの?暇だから?

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ID非公開さん

2017/12/1013:43:46

ブッダは修行は無駄だった!と悟るけどなぜみな仏教徒は修行したいの?暇だから?

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餅饂飩さん

2017/12/1014:03:48

座禅の見本となったのは、
いうまでもなく2500年前の釈迦の菩提樹下の座禅です。
残念ながらこの座禅が常に正しく伝えられてきたとは必ずしも言えません。
お坊さんの中でもただ座るなんてツマラナイとかいったりする人がいます。
ところが身をもって「ただ坐る」という実践から、
無念無想の心を分離させてしまいますと、
そういった禅の心はもはや宙に浮いてしまいます。
そして無念無想の境地もやがて
自分の思いこみに過ぎないことにすら気付かなくなりますと、
自分で自分をごまかしているだけということになってしまうのです。
本来の座禅は一つです。身と心、生活と修行、
これらが2つに分かれる以前にあるものが座禅です。
それを二つに分けてしまったのが天台宗の止観です。
道元禅師の時代に日本にあった座禅は、
この止観の方法ですがそれに行き詰まった道元禅師は中国に渡り、
やがて本来の二つに分かれる以前の座禅に出会いそれを日本に伝えました。
今の南方仏教でも座禅の実践方法として
サマタ(止)とヴィパッサナー(観)の二つがありますが、
同時に行うのではなくサマタだけを修行する人もいれば、
ヴィパッサナーに従事している人もいます。
こうした偏った修行が釈迦の菩提樹下の座禅と
関係がないのはいうまでもありません。
釈迦は王位を捨てて出家したわけですが、
6年間の猛烈な修行に行き詰まりました。
しかし還俗の道も選びませんでした。
木の下に腰を下ろし、身も心も放ち忘れた。
ここに仏祖正伝の座禅の出発点があります。
日本の仏教をこの正伝の座禅に戻したのが道元禅師です
https://www.youtube.com/watch?v=bnXJg5Oj7sM

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質問した人からのコメント

2017/12/10 14:06:04

あれは座禅じゃなくヴィッパサナー瞑想だよ。
知識つけなさい。

ベストアンサー以外の回答

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xxx********さん

2017/12/1014:05:58

修行してる方が立派に見えるからでしょう。

無駄なんだけどね。

vrvrvrrvさん

2017/12/1013:49:41

修行は無駄だったとブッタは考えましたが、彼がその教えを伝えた相手が、間違った解釈をしてしまいそれが今でも受け継がれてると聞いたことがあります。ブッダが教えを伝えた相手は文字も読み書きできない用な人が多かったので、そのようなことが起きたとしても納得できます。

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