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紀元前に活躍した中国の始皇帝について 彼は白人だった、ペルシャ系だった、な...

tak********さん

2017/12/3007:41:17

紀元前に活躍した中国の始皇帝について

彼は白人だった、ペルシャ系だった、などという文言がネット上に飛び交っておりますが、

彼らの論拠は何なのでしょう。

遺体のDNA解析でも行われたのでしょうか?

始皇帝といえば「秦始皇帝陵及び兵馬俑」という有名なお墓が残されていますよね。


始皇帝-白人説の論拠を教えてください。

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bot********さん

2017/12/3012:47:05

まず
2500年前の臨シから白人系の骨が見つかっています
臨シは中国の東の果て、なら西の果ての秦国に白人系がいても不思議はないという考えがあります
また問題はその兵馬俑
実寸サイズの俑(置物)は後に先にも中国ではさほど作られていません
こういうものが作られているのは白人系、というか西側の土地です
つまりそうした土地の影響を強く受けていた、という訳です
http://www.nhk.or.jp/special/asia-iseki/warriors/column_01.html
あとは始皇帝の風貌について「目が長く、鼻は高く、胸が突き出て」とどちらかというと白人系の風貌に近いから、ともされますね

個人的には、、、、、
母親の血筋はわかりませんが(邯鄲で歌姫やっていた、呂不韋の愛人)
父親、つまり秦国の血筋については、最近面白いものが公開されました
清華大学の竹簡に「繋年」というものがあるんですが
つまり秦国の起源は西方ではなく東方にある、とされます
元々史記などでも籯姓は東方の趙と同根とされましたし、その神話も東北アジア(や南方)におおい、卵生神話から東方起源とされています

母親が白人系、とか言われると否定も肯定もできないんですが、とにかく血筋としては西方の白人ペルシャ系というより東方起源と言えそうです

  • bot********さん

    2017/12/3012:55:23

    (おまけ)

    繋年については

    周武王既克殷,乃設三監于殷。武王陟,商邑興反,殺三監而立 子耿。成王屎(纂?纘?)伐商邑,殺 子耿,飛廉東逃于商蓋氏,成王伐商蓋,殺飛廉,西遷商蓋之民于朱圉,以御奴虘之戎,是秦之先,世作周 周室既卑,平王東遷,止于成周,秦仲焉東居周地,以守周之墳墓,秦以始大。
    つまり
    ・商周革命の後、周は負けた商の人民を東方に移民させた
    ・ところが商の人民は監視役を殺し周に反旗を翻した
    ・当然周王は討伐をするんだが、反乱の首謀者の1人飛廉はさらに東方の商蓋へ逃走
    ・周は商蓋まで追撃し、飛廉を殺害、商蓋の住人を戦争捕虜として、西の果ての周本土に連行
    ・彼らを奴隷とし(あるいは奴隷を使役させた)、これが秦国の始まりである
    ・後に周が衰え、平王の時代に周は東方に移動する、秦仲は周の故地を与えられ、周王室の歴代の墳墓を守る、秦国は次第に台頭する

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wos********さん

2018/1/518:23:01

昔読んだ本では、始皇帝のお父さん(荘襄王)の名前が異人であったということで、荘襄王は異民族の血を引く者ではないか?とのことでした。モンゴル系だと見た目は余り中国人と変わらないので、ペルシャ系インド系ではないか、とのことです。
始皇帝の父の母は、夏太后といい、始皇帝が成人前に咸陽宮に住んでいました。彼女について特にペルシャ系インド系であったという記述はありません。まあ、彼女に会ったことのある歴史家はいないでしょうから…。

+始皇帝の鼻が大きく、目が切れ長で鳩胸だったことが、白人らしいと判断されたようです。切れ長の目は東洋人らしいと思いますけど。中国では、鼻が大きいのは高貴な相で、劉邦も鼻が大きかったとされています。

仮に夏太后が白人系だったとしても、始皇帝の父の父も母の父も母の母も中国系なので、始皇帝は3/4中国系です。

遺骸は墓の中にあると思われますが、始皇帝陵は項籍の命をうけた英布により略奪されているので、完全な状態であるかどうかは不明です。ただし、史記によれば、侵入者を拒む万全の防御を施しているので、墓の中に入るのは大変危険であるようです(2200年経っても作動するのかは不明ですが…)。史記に記載のある水銀の海はその存在が土壌調査で確認されています。

ura********さん

2017/12/3111:22:51

始皇帝陵は、まだ発掘されていません。
かなりのものが眠っていることは確かなのですが、発掘した場合、そうした大量に出てくるはずの遺産を管理できないそうです。

したがって、始皇帝が中国系であったか白人だったかは不明です。遺体が残っているとしても、DNA鑑定などには至っていません。
まあ、白人説はたぶん無いと思いますが。
呂不韋の息子説さえほぼ否定されているのに、それよりもさらに可能性の低い白人説は荒唐無稽と思います。


勘違いの原因は、たぶん兵馬俑にあるんでしょう(ちなみに兵馬俑は本来彩色されていましたが、偶然発掘したところ、あっという間に色が落ちてしまったそうです。始皇帝陵の発掘をやめたのはこれも一因)。
兵馬俑は実在の人物をモデルとしていたらしく、一つ一つ顔が違う上に、精巧なので人種の違いすら識別できます。

つまり、兵馬俑の中には典型的な漢民族系の顔から、ペルシャ系や匈奴・モンゴル系、四川・南蛮系まで、多様な顔のものが出土しています(逆に言うと、始皇帝統治下の秦国では彼ら異民族も漢族と変わりない社会的地位を得られていたということです)。

それが、誰かが間違えて「始皇帝こそペルシャ系だ」「いや白人系だったんだ」という変な風説になったものと思われます、

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