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秒速5センチメートルを観ましたがよくわかりませんでした。あの作品は結局何が言い...

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ID非公開さん

2018/1/318:19:07

秒速5センチメートルを観ましたがよくわかりませんでした。あの作品は結局何が言いたかったのですか?

・第3話では貴樹の元カノらしき人物(メガネの)が一方的にメールを送ってるように見えましたがあのシーンはなんだったのでしょう。

・2人が文通をしなくなったのはなぜか?

・時々貴樹目線の時に入る貴樹とあかりが草原にいる回想シーンや、最後踏切で貴樹とあかりがすれ違ったと思いきやあかりの姿はない…ってシーンは、なんでしょうか?
貴樹は成長してもまだ心のどこかであかりのことを想っているが、あかりの中にはもう貴樹は居ない(踏切のシーンであかりは居なかったのと、他の誰かと結婚することから)ってことですか?


あとこれは"アニメだから"って理由で片付けられる問題かもしれませんが、第1話でまだ中学生の2人が大雪の中栃木で再開して、しかもあかりの家に泊まるのかと思いきや外で寝泊まりし、翌日の朝にはバイバイって…えー…!

なんだか私には謎多き作品でした。解説お願いします。

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ベストアンサーに選ばれた回答

hig********さん

2018/1/918:13:06

>・第3話では貴樹の元カノらしき人物(メガネの)が一方的にメールを送ってるように見えましたがあのシーンはなんだったのでしょう。

3年付き合っていた彼女のメールですよね。そのメールの中に

「あなたのことは今でも好きです。 でも私たちはきっと 1000回もメールをやりとりして、 たぶん心は1センチくらいしか近づけませんでした。」

というものがありました。メールの回数の多さを表現していたのだと思います。メールの回数と2人の距離は関係なかったということですよね。

>・2人が文通をしなくなったのはなぜか?

表面的な理由は2人が遠く離れた所に行ってしまったことでしょうね。でも本当の理由は、明里の気持ちの変化だと思います。映画では明かされなかった、貴樹を待つ間に岩舟駅の待合室で明里が書いた手紙の内容が小説では全文出ています。

http://dic.nicovideo.jp/a/%E6%98%8E%E9%87%8C%E3%81%AE%E6%B8%A1%E3%8...

結局貴樹に渡せなかったわけですが、最初は明里がどれだけ貴樹のことを頼りにしていたか、ということがよくわかります。そしていつまでも貴樹を頼っていてはいけない、という気持ちになります。この時すでに明里は貴樹とはもう会えないということを感じていたんですね。

「私はこれからは、一人でもちゃんとやっていけるようにしなくてはいけません。
そんなことが本当に出来るのか、私にはちょっと自信がないんですけど。
でも、そうしなければならないんです。
私も貴樹くんも。そうですよね?」

「貴樹くん、あなたはきっと大丈夫。
どんなことがあっても、貴樹くんは絶対に立派で優しい大人になると思います。
貴樹くんがこの先どんなに遠くに行ってしまっても、
私はずっと絶対に好きです。」

もうこれは好きと言いながら、別れを告げているような感じですよね。当然文通する意思も無くなったのだと思います。貴樹はそんなことは少しも思ってませんよね。これからも明里を大切な人と思い続けたい、でもあまりにも遠くに離れてしまったことに、絶望感は持っていたようですが。翌日岩舟駅のホームで貴樹との別れ際に、明里は「貴樹君、貴樹君はこの先も大丈夫だと思う。絶対!」と渡せなかった長い手紙の最後の部分だけを、言葉にして貴樹に伝えました。そして電車のドアは無情にも閉まってしまいました。ロマンチストな男性と現実的な女性という構図は、こんな年齢でもありうるのか? などど思ってしまいました。

>・時々貴樹目線の時に入る貴樹とあかりが草原にいる回想シーンや、最後踏切で貴樹とあかりがすれ違ったと思いきやあかりの姿はない…ってシーンは、なんでしょうか?

貴樹がそれだけ明里のことを想い続けているということですよね。踏切ですれ違う時も、自分が振り返れば、明里も振り返ると思っていた。実際には電車が通る前に明里が僅かに振り返ろうとして、横顔だけがちらっと見えただけで、踏切の前に立ち止まっていたのは、貴樹だけでした。貴樹には今でも大好きな人であり、他の女性を心底から好きになれないのですが、明里には遠い昔の思い出の人、懐かしい人という感覚しかなくなってしまっていた、ということだと思います。それを象徴するシーンでしたよね。振り返って立ち止まる=未練があると、立ち止まることなく先に進む=未練はない、ということを言いたかったのでしょうね。

>貴樹は成長してもまだ心のどこかであかりのことを想っているが、あかりの中にはもう貴樹は居ない(踏切のシーンであかりは居なかったのと、他の誰かと結婚することから)ってことですか?

上にも書いた通り、そういうことだと思います。

>あとこれは"アニメだから"って理由で片付けられる問題かもしれませんが、第1話でまだ中学生の2人が大雪の中栃木で再開して、しかもあかりの家に泊まるのかと思いきや外で寝泊まりし、翌日の朝にはバイバイって…えー…!

これに関しては、作者に聞くしかないですよね。ちょっと描き方が不自然だったかもしれません。だいたいあんな遅い時間に駅にいたら、東京なら補導されてしまいますからね。駅員が「雪なので、気をつけてお帰りください」のようなことを言ってましたが、「何でこんな時間に駅にいるの?」と聞かれる方が先だと思います。全ての作品が完璧なわけではないので、ご愛嬌ということで、大目に見てあげてはどうでしょうか?

>秒速5センチメートルを観ましたがよくわかりませんでした。あの作品は結局何が言いたかったのですか?

最初の質問を最後に回答することになってしまいました。この作品を観た人のほとんどが「切ない、バッドエンドだ」と感じてますよね。果たしてこの作品はそれだけのものだったのでしょうか?

今では「切ない」という意味は、「辛い」とか「やるせない」、という意味として使われていますが、昔は「大切」「恋しい」「愛おしい」という意味で使われていました。

「切ない」の【ない】は「無い」という否定の意味ではなく、「あどけない」「せわしない」の「ない」と同じです。「せわしい」は「忙しい」と書きます。「せわしない」は「忙しくない」と否定している言葉のように思いますが、「無い」ではなく形容詞の意味を強調する【ない】なので、忙しい度合いが強いという意味になります。

よく皇室の方が「切に願います」などと言われますが、「切ない」もこれと同じ意味になり、さらに【ない】が付くことにより、「とても大切」「とても恋しい」という意味になります。

何が言いたいかと言うと、「切ない」というものをネガティブに捉えると、「秒速5センチメートル」という作品は、これ以上ないダメな作品、どうしようもなく辛い作品ということになってしまいます。

切ないのはフラれたり、片思いをしている人の感情だけではない、ということを知れば、切なさというものをポジティブに捉えることができると思います。

この作品の2話では、貴樹を一途に想う花苗が主人公になっています。でも「遠野君は私のことなど眼中にない」と花苗は思っています。ここだけを見れば、本当にやるせないと思います。完全な片思いですから。

凄い美人やイケメンでなくても、片思いをされた経験というのは、ほとんどの人があると思います。そしてそれは人の噂や片思いをしている本人の言動から、わかるものです。その時の好かれている自分の気持ちはどのようなものか? もちろんあなたはその人に全く関心が無いという場合です。片思いやフラれた経験のあまり無い人なら、「ウザイ、近づくな」などと冷酷なことを考えるかもしれません。でも片思いをした経験がある人なら、「私もこの人が好きだったら、どんなに幸せなことだろう!」と思います。片思いをされた人のこの気持ちもやっぱり切ないですよね。

もっと飛躍すれば、付き合っている恋人同士だって、切ないという気持ちになることもありますよね。大切を強調する意味なのですから。離れている時に、「あの人は今何をしているのだろう?」「あんなことを言ってしまって、怒ってないかな?」「あの時の言葉はどういうつもりで言ったのかな?」などとあれこれ考えてしまいます。これも切ないという感情だと思います。

好きな人を愛おしいと思う気持ちは、一方的に好きでも、相思相愛であっても、何も変わる感情ではないですよね。その人を大切だと思う気持ちの最上級が「切ない」になるのだと思います。

ただこの作品では、片思いや会いたくても会えない恋の切なさをあまりにも美しく描きすぎているので、切なさが強調され、辛く悲しい物語に見えるのだと思います。結末に良い結果を求める人は、観ない方がいいかもしれませんよね。

この作品は結果にこだわるのではなく、人を愛するという行為そのものの美しさ、愛されることの素晴らしさを描写するのが目的だったと考えれば、最後まで観ることができると思います。

花苗は自分の学力を考えると、とても合格できないような高校を受験するために、必死に勉強しています。もちろん大好きな貴樹の志望校に行くためです。そして同じ高校に通うことができました。好きな人がいたからこそ、普通では出せない力やできない努力ができたわけですよね。この行為こそ美しく、いじらしいものだと思います。

映画では説明されていませんが、片思いをされている貴樹も、自分が好かれているということを間違いなく感じているはずです。でも花苗のことを特別な人と思うことができないという現実があります。花苗が貴樹に見た優しさというのは、こうしたものに対する気遣いなのかもしれません。結果的にはこの優しさがさらに花苗を傷つけてしまうことになってしまいますが。

長くなってしまいましたが、この作品では人を好きになることの切なさ、素晴らしさを表現したかっただけなのだと思います。なので結果はどうでもいいのでしょうね。愛するという行為をどのように表現すれば、観た人を感動させられるか? ということを主眼にして作られたと思えばいいと思います。ただそれだけでは納得してもらえないので、3話でその結果も描写されています。それがあまりにも多くの人の共感を得られない結末になっているから、欝アニメなどと言われてしまったのでしょうね。「何を言いたいのか?」という疑問を、「何を表現したかったのか?」という疑問に置き換えてみると、とてもしっくりする答えが出せる作品だと思います。

それと新海監督の作風が、「ここから先はみなさんが考えてください」みたいなところで終わるような感じになってますからね。その後のことをあれこれ考えるのもいいかもしれません。

難問が多く、回答になっていないかもしれませんが、そう感じたらお許しください。

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