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カトリックの信者です。 カトリックの方にお聞きします。 聖書にはユダをはじめ...

kir********さん

2018/1/620:08:25

カトリックの信者です。
カトリックの方にお聞きします。
聖書にはユダをはじめとして、一人も地獄に行ったとは書いてありません。

また、聖人は天国にいると、教会は発表しますが、地獄にいると言う人は一人も発表していません。

第二バチカン公会議以前は、教会以外に救いは無しと言っていました。
現教皇フランシスは、教会以外にも救いがあり、良心に従って生きてきたならば、
救いに預かると言っています。

私個人的には、全ての人を無から呼び出した神様は全ての人を救うと思います。
地獄という概念はもちろん聖書には書いてありますが、
特に中世など教会の優位性を、言うためにに使った概念だと思います。
私は地獄には一人もいないと思っています。
どんな形かは知りませんが、私は全ての人が最終的にはイエスキリストによって救われると信じています。

こういう考え方は正当な伝統的なカトリック教徒の考え方ではないのでしょうか

どうお考えでしょうかがどうお考えでしょうか?

申し訳ありませんが
カトリック信徒の方のみのご回答をお願いします。

補足(CNN) ローマ法王フランシスコが説教の中で、無神論者の罪の救済に言及して注目を浴びている。ローマ法王庁は23日、「罪の救済」の解釈について補足する談話を発表した。

フランシスコ法王は22日午前のミサで信者を前に、「主はキリストの血によって、我々すべての罪を救った。カトリック信者のみならず、すべての人を」「無神論者さえも」と語った。さらに「我々は互いに善行を行わなければならない。無神論者であっても善行を行いなさい」と続けている。

https://getpocket.com/a/read/687248181

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pic********さん

2018/1/717:10:41

失礼ですが、そのお考えは正当なカトリックの教えとは言えません。そのように考えたくなるのはわかります。また、そのように考えたのはあなただけではありません。ただ、神様は人に自由意志をお与えになりました。神様は一人一人の人生の最後までその人が救われるためにあらゆる手段を尽くされますが、それにも関わらず、人がすべてを知ったうえでなお自由意志で救いを拒否するのなら、その選択を尊重されます。地獄とは、人が完全な自由意志で選択した最終的に救いを拒否した状態のことです。誰がそうであるかは、生きている人にはわかりませんし、地獄がどのようなところなのかもわからないとしか言えません。

  • 質問者

    kir********さん

    2018/1/722:49:19

    回答ありがとうございます!

    完全に、聖なる神にお会いした時
    自己の不純なものが、火で焼き尽くされるところが煉獄だと
    思われます
    その様相から、そこは地獄と勘違いしますが

    地獄には誰もいないと信じます

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rei********さん

2018/1/921:27:52

その個人が天国に行くか地獄に行くかは,
死後、イエスに会った時、初めて固定化されるのです。

死は最後のものでもないし、
無に帰すことでもありません。
あなたの今現在の人間だけにある実存的自我、魂は、永遠です。
今は、永遠の今なのです。

死は、新しい生命への参加なのです。
ちょうど胎児が生まれてくると同じようなものなのです。

わたしちが自分の責任において、自分の人生を決めるということは生きている間だけです。
そこに人間に与えられた自由があります。

私が、死んでも自分の自我は永続し、
つまり魂は永続しイエスキリストに出会います。
その時、神もイエスキリストもあなたが地獄に行くか天国に行くか、
裁きません。
ただ綺麗な鏡の前に自分の姿が映って自分の中に、神と一致しない汚い部分があることに気がついて、
煉獄に行き。
あるいは全く神を信じず、イエスキリストと関係ない自分であったならば、
そのまま存在がなくなり地獄に行くのだと思います。
ただし、そのような人はこの世にはあの世にも一人もいないと思います。
どんな悪人でさえ、たとえヒットラーでもどこかに、
心の奥底には神を信じる部分があり良心の呵責があるので地獄にいる人は一人もいないと思います。
ただ、人間の恐ろしいのは、自分が正しと思うことから力が出て、大量殺戮も正しいと信じておこなってしまいます。

また、イエスのおっしゃる罪とは、
殺人、姦淫などのことよりも、
隣の困っている人を助けなかったことが大きいといいます。
虐げられてる人、死にゆく人、--それがイエスなのです。
罪とは、愛の問題なのです。
殺人は、その結果です。

ですから教会はそのイエスに出会う瞬間までその人が煉獄にいるか地獄にいるか発表しません。
天国にいる人だけ、聖人として認められ発表します。

kuj********さん

2018/1/810:18:08

>正当な伝統的なカトリック教徒の考え方ではないのでしょうか

そうなのかどうかわからないが、
バチカンの教理聖省で「問題のある」神学者を呼び出して
審問をしていたエルダースの次の本を読んでみたら参考になると思うよ。

エルダース 「教会・神学・救い」(創文社)

あなたが書いているようなことを唱えていたカール・ラーナー
についても厳しいコメントを付けている。
まあ1970年代にバチカンで勤務していたというから
今のバチカンは違ってきているかもしれないが。
伝統と革新をどう調和させるかって難しい問題だよね。

spe********さん

2018/1/720:04:35

>私は全ての人が最終的には
>イエスキリストによって救われると信じています。

万人救済主義か。

イギリスの枢機卿 コーマック・M.オコーナー師は、万人救済主義がカトリックの教えと両立すると唱えたね。

カトリックには煉獄というセーフティネットがあるから、地獄行きは滅多になくても、煉獄での浄化が必要となるんだろう。

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mit********さん

2018/1/718:45:13

すべての人が救われる。私もそう思う。でも、どんな形で救われるのか、それはわからない。
晴佐久神父の「よい麦と毒麦」の解釈がおもしろいと思う。自分の中の「よい麦」だけを神は刈り取ってくれる。すべての人は、芥川龍之介『蜘蛛の糸』の主人公のように、蟻の行列を踏まなかったということだけで、極楽から垂れる細い糸を上ることができる。

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eeh********さん

2018/1/622:18:33

>カトリックの信者です。


それが本当なら、個人的意見でも回答できる知恵袋よりも通ってる教会の神父様にでも訊くのがカトリック信者だと思いますけど。

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