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小田原北条氏が滅んだ責任を首脳部に求めるのなら一番悪いのは誰ですか? 隠居...

死将軍(笑)さん

2018/1/3014:31:39

小田原北条氏が滅んだ責任を首脳部に求めるのなら一番悪いのは誰ですか?

隠居したのに実権を握り続け上洛しなかった北条氏政?

当主なのに主体性を発揮できない氏直?

徹底抗戦を主張

し続けた氏照?

名胡桃城を奪い秀吉に口実を与えた氏邦?

上洛しながら兄を説得できなかった氏規?

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oia********さん

2018/1/3022:54:07

豊臣家との交渉の際に、実際に実権を握っていたのは氏政だったのですから、やはり北条家滅亡の最大の責任は氏政にあると言わざるを得ないでしょう。
部下や一族の暴走があったとしても、それを止められなかったのはやはりトップの責任です。

また、当時隠居といいながら前当主が実権を握っている事は良くあったので、名目上の当主に過ぎなかった氏直に責任を負わすのは酷だと思います。

ちなみに、家康は秀吉につくことを北条氏へ連絡しており、北条と秀吉交渉の仲介もしており、北条を裏切ったりはしていません。
むしろ、家康が仲介をしてくれているのに豊臣方に属する真田家の名胡桃城を攻めた北条の行為の方が、家康に対する裏切りと言えます。

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kou********さん

2018/2/418:21:55

やはり、実質上の当主 氏政ではないでしょうか。

当時の資料を見ると、結局彼が方針を決めていたようですので‥

主様もお書きになっている通り、名胡桃城は口実、元々秀吉は北条を滅ぼすつもりだったのだと思います。

秀吉にとって北条は、①信用できず、②あまり強くなく、③それでいて領地は多い。と言う存在で、残すメリットが少なく、デメリットの多い大名だったのだと思います。

①信用できないと言うのは「本能寺の変」で起きた「天正壬午の乱」で北条が織田を簡単に裏切った事です。
北条は織田と同盟を結んでいたにも関わらず、手のひら返しで織田領(旧武田領)に侵入、奪いにかかります。
他の織田領隣接の大大名達は、織田は直ぐ再起すると判断したのでしょう、そこまで敵対していないのです。
毛利は織田領を攻めなかったですし、上杉は攻められていたので反撃はしましたが 直ぐに従っています。
また徳川も織田領に侵入しますが、織田の同盟者として織田領を替わりに守ると報告の上での行動です。
北条は、織田を裏切った事で、最後まで従えない、上洛しにくい状況を自ら産み出した訳です。
秀吉は、いつ裏切るか分からないので滅ぼした方が良い相手だと思ったでしょう。
②それでいて強くない。強ければ、秀吉も穏便にと考えたかもしれませんが、天正壬午の乱で1/5以下の兵力である家康に負けています。
また、長篠の戦い後で弱っているはずの武田勝頼との抗争でも、北条は滅ぼされてしまうとの手紙を書くほど押されています。ちなみに石高では勝頼は北条の半分程度です。
秀吉にとって戦っても恐くない相手です。
③そして、にも関わらず250万石と言う大きな領地を持っており、取り上げれは、恩賞の良い原資になります。
秀吉にとっては、滅ぼせば美味しい相手です。

①天正壬午の乱の乱で織田を裏切ると言う判断、②そしてそこで徳川に勝てない指揮能力、③上洛して、領地の一部を差し出し臣従すると言う判断を取らなかった事。

どれも、判断の主体は氏政にあったと思いますので、責任も氏政にあると思います。

chi********さん

2018/2/215:52:15

北条氏政は上洛する準備をしていたんですよね
まあ誰が悪いとは言い難く
猪俣が悪いと言えばそれまでですし氏邦が悪いかもしるないし
まあ成り行き的に仕方なかったのですよ

nic********さん

2018/1/3015:44:54

家康と手を組んだ時点で秀吉の心証が悪くなっていましたからね。
無断で家康が秀吉に服従したことで、梯子を外されていつの間にか反豊臣の首魁とレッテルを貼られてしまいました。
一番悪いのは、裏切った家康でしょう。

dar********さん

2018/1/3015:13:24

後北条氏としての戦国時代末期の頃の有名な北条氏のお話なのですよね?
後北条氏5代に渡る戦国時代の中でもかなりの大大名として有名な存在であった北条氏が日本一の成り上り人であり、日本一の大出世まで果たした伝説の人物である豊臣秀吉公の怒りを買い、そして天下人としての関白殿下としての彼の存在を否定したのです。
余りにもその低い身分からの天下人として天下を統一した、その実力を否定し、頭を下げる事をよしとはしなかったのです。
20万人とか25万人とも言われている物凄い大部隊に小田原城を囲まれていたのです。
そこまでなる事すらにも頭を極端に切り替える事が出来ない名門の大大名家は潰れる運命であった、それだけの事なのではないのでしょうか?
別に北条氏だけがその様な屈辱的な立場を迎えていた訳ではありませんし、全国数多の大大名も同じ立場に立たされていたのです。
生きるために屈辱を屈辱として、現実として受け止めまして、頭を極端に切り替えて秀吉公の軍門に下ったのです。
そこまで出来ない北条家は要するに北条家単独の部隊だけでも5万人程度は確保出来ているので潔しとはしなかった、過去の小田原城への攻撃を受けた超有名な存在の武田信玄公と上杉謙信公の大軍勢に囲まれての戦闘でも小田原城は落ちなかった、その様ななまじ実績もあるので余計軍門に下る屈辱的な選択肢を無視したのでしょう。
これは北条家故の悲劇であったと言う事になるのではないでしょうか?

直接の原因は北条氏政と息子である北条氏直の二名に責任はあると断言出来るでしょう。
親子のどちらかの頭に柔軟性があれば乗り切れたお家の一大事件でしょう。
滅んでしまう事とお家の存続が出来るとかは紙一重の選択肢である事が殆どでしょう。
同じ戦国時代の有名な大大名家であった武田家にも言えますけどね。
こちらも滅ばずに乗り切れた選択肢は複数存在していたと私は感じています。
これが日本の歴史という延々と続いている一連の流れと言う奴なんでしょうかね?

feawerさん

編集あり2018/1/3014:57:12

一番いけん奴らは、
北条氏政、氏直父子でしょ。
北条氏の、御当主なのですから。

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