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漢民族が相手にしなかった日本になぜ蒙古は攻め入ったのですか?地政学的にどうい...

tam********さん

2018/2/1205:34:41

漢民族が相手にしなかった日本になぜ蒙古は攻め入ったのですか?地政学的にどういう意味があったんですか?

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ina********さん

2018/2/1207:25:49

遣唐使船は朝貢船でもありましたので、唐に対して日本は形式上従属していた形になります。
しかし唐が衰退すると日本は遣唐使を廃止し、以降は形式上とは言え天皇が中華皇帝の臣下になってしまわないように、大臣名義や将軍名義で交易を行いました。
中華帝国は伝統的に「中華(世界)」の範囲をおおざっぱに決めていましたから、その外から交易だけにやってくる相手、特に日本は中華において臣下として振舞えばそれでいいといいう態度を取りました。
ようするにお互い空気を読んで利用しあっていたような関係です。
さらには唐代には朝鮮半島に新羅が、その後は渤海や高麗が日本との間にあったので、日本にまで遠征するのは不可能ですし意味がありませんでした。

モンゴルは元々北方で勃興しました。
高麗は儒教と中華思想に染まった国でしたので、北方民族であるモンゴルを見下して国家の上層部が現実的にモンゴルに従おうとしても反対勢力がこれを口実にしてクーデタを起こし政権を奪取するというような事が数度続き、そのたびにモンゴルの侵攻を受け徹底的に討伐され、一時国が滅亡したほどでした。
こうしてかつてあった日本と中華帝国との障壁はモンゴルによって取り払われたのでした。

そしてモンゴル(元)は日本を最大のライバル南宋の同盟国・有力な交易国と看做します。
そこで「お互い空気を読んで利用しあう」という慣習を破って、日本に使節をよこして従属的交易を要求しました。
日本からすれば、「こちらから出て行って元々臣下である大臣や将軍が中華皇帝の形式上の臣下になる」のは問題ないのですが、中華皇帝(モンゴル皇帝)からの使節が日本に来てしまえば、「天皇が朝廷の公式の場で皇帝の使節に臣下の礼を取らなければならない」事になってしまい大問題でした。
こうして日本は元の使節を事実上無視し、最後には斬ってしまうのです。

モンゴルにしてみれば日本のような遠方の島国に遠征するのはリスクが高いので従属してくれるに越したことはなかったのですが、使節まで斬られれば遠征せざるをえなくなってしまいました。
また元々日本を「南宋の同盟国」と看做していた元にとってこのような態度を居る日本は南宋系勢力の残党と見えたでしょう。
こうして元は日本遠征を行なうのです。

質問した人からのコメント

2018/2/12 07:31:25

なるほど!
勉強になりました。

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

nic********さん

2018/2/1207:11:56

特別の慈悲で「朝貢してくるなら付き合ってやるぞ」と声がけしたら使者を殺害されたから。

返信を取り消しますが
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