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奥羽の名将「南条隆信」について教えてください。 何をやった人なのか私は良く...

loo********さん

2018/2/1916:27:30

奥羽の名将「南条隆信」について教えてください。

何をやった人なのか私は良く解らないのですが
ネットの評判が異常です。

・大崎合戦の際、寡兵で大軍の伊達政宗を倒した。

・その戦ぶりは後年、自衛隊が戦術研究や、手本としている程の神業ぶりであった。
・大崎合戦の時まで、大崎関連の資料に「南条下総守隆信」という字は見えず、この合戦の時に忽然と現れて大活躍し、その後の資料にも名がない。

某「個人様」のサイトから一部抜粋。

大崎家の家臣として伊達家との「大崎合戦」で戦功があったそうですが
攻め手1万、篭城側5千などとされ、そこまで大変な防衛戦とも思えないような・・・。

地元じゃ負け知らずの「南条隆信」についてご存知の方、
教えてください!!

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ベストアンサーに選ばれた回答

ve_********さん

2018/2/2414:26:46

南条隆信ですが、ウィペディアに名前があるようですが、そもそもこの方が活躍する大崎合戦のうちの中新田城の戦いには伊達政宗は行ってないので、ガセ情報でしょうね。

その時の大将が、政宗の叔父の留守政景と岩沼城主の名将、泉田重光です。政宗は、佐竹兄弟(政宗とは従兄弟同士ですが)の佐竹義宣と蘆名義広と仙道筋(今の郡山市から本宮市あたりで)ドンパチやってて、兵隊も留守・泉田に5000人しか与えてませんよ。


氏家の岩手沢城

大崎の中新田城
泉田
新沼城 留守 松山城
師山城
黒川の鶴楯城 大松沢城

当時の布陣はこんな感じです。(ずれたらすいません)

大崎義隆が、小姓同士の痴話喧嘩をまとめることが出来ず、大崎家臣団が2つに別れます。最上義光を頼る者、伊達政宗を頼る者、それで、政宗は、大崎家の分家の氏家を支援します。大崎領の南東には、伊達の飛び地があり、その南には黒川家や政宗の叔父が領主を務める留守家があります。

大崎家 氏家領 葛西本領
【大崎本領】 伊達飛び地(松山)
黒川家 留守家(政宗叔父)
秋保家 国分家(政宗叔父)
伊達家・泉田領 粟野領 ←伊達家臣ですが、国人領主みたいなもんです。

伊達本領

ざっくりとした領地配置図。伊達領の北側は、国人領主と政宗の叔父達が治める小大名があるところで、松山(松島の北北西あたり)に伊達の飛び地がありました。政宗は、葛西氏が友好国ですし、黒川家も伊達に忠誠を誓っています。大崎の分家の氏家の支援で、留守と泉田をおくりましたが、そこに政宗の叔父の最上義光が参戦したことで、留守政景の正室の父親である黒川氏領主黒川月舟斉が、政宗と政景に謀反を起こし、最上に付きました。黒川家は、伊達家の分家の飯坂家と血縁関係で、伊達派いわば、総本家筋なのですが、黒川の血統を見れば、大崎も本家筋となります(ややっこしいですね。)なので、大崎の本家と、その一番の分家の最上が動くとなると、伊達(&留守)の恩を投げ打ってでも大崎氏存亡の危機にかけつけなければいけません。

大崎家 氏家領 葛西本領
【大崎本領】 伊達飛び地(松山)
【黒川家】 留守家(政宗叔父)
秋保家 国分家(政宗叔父)
伊達家・泉田領 粟野領

黒川月舟斉は名将でも有名、政宗の叔父さんの義父なので、年齢的には壮年(上杉謙信や武田信玄世代かと)青っちょろい政宗の子分なんてって気分もあり、これにつづけと留守家中や国分家中(当主はそれぞれ伊達宗家からのプリンセスが養子で入っている)も穏やかではありません。それどころか、政宗に付いていた秋保・粟野などの国人領主も政宗は、南で佐竹兄弟に負けてばかりなので、最上義光に付いたほうがいいんじゃないかと日和見してくるかもしれません。頼りの友軍の葛西は、義光の工作なのか、分家達が宗家のいう事を聞かず、逆に「政宗さん助けて下さいよー」状態です。頼れません。

そんななか泉田重光は、大崎と黒川に挟み撃ちされて、籠城するしかありませんし、留守政景は、家中に反乱者が出ない様に慎重に行動しないといけません(実は、この二人結構不仲ってのもあります。まあ泉田は実力で領主になった名将。政景はプリンスという事で、名家の養子になったので、立場上の違いもありますが、泉田氏の正室の家と留守氏が揉めていたらしいです。)。そのうち、雪も降り、留守と泉田の連携が取れないうちに最上義光の本隊が来る始末です。それで、留守は義父黒川月舟斉と和睦を結び、最上義光が泉田を人質に取ること(ラスボスみたいですねw)で、伊達勢を逃がし、また、大崎一族には手を出さない事で手を打ちます。そこに待ったをかけたのが、政宗の母親義姫と政宗で、彼等の言い分は「伊達は奥州探題、最上は羽州探題しゃしゃり出るな!」と喚き散らします。よくドラマでは、この母子仲悪いみたいですが、実際は違います仲がいいです。そして、政宗は、ひそかに直江兼続と上杉シンパ(自称上杉氏の分家)武藤氏に「YOU庄内領奪っちゃえよ!」という感じの手紙を出して、上杉・武藤氏らが最上領の庄内領に侵攻します。義光は鮭好きでも有名で、鮭が遡上する庄内を奪われると苦しいことになるので、大崎領の争いから撤退します。すると残ったのは、政宗と義姫、大崎義隆はどこかへ逃亡し、大崎領は伊達家の支配下に黒川も滅亡されそうになりますが、叔父の留守政景の義理の父親なので赦免されます。これが通説なのです。

南条隆信とはなんなんでしょうか?そもそも大崎家中に南条氏なんているのでしょうか?それらしき人物はいたらしいのですが、当時2歳だそうで、別人のようです。大崎にそんな将がいたら、大内定綱も黒川月舟斉、一度は裏切った伊達成実でも許す
政宗ですから、召し抱えると思います。もしかしたら、南条隆信というのは偽名で、別人物説もあるかもしれません。例えばですが、天海、天海は明智光秀説や明智秀満説もある人物ですが、蘆名の一族出身らしいです。もし、彼が南条隆信で、奥州仕置の時に岩手沢城に入った徳川家康と知り合って召し抱えられても不思議ではありません。家康や利家が評判を聞いて召し抱えたいと言えば、政宗も「しゃーねーか」となりますね。岩手沢城は後に徳川家康に魔改造され政宗に引き渡されて岩出山城と名前を改めています(秀吉に伊達家が取り潰されても岩出山に引きこもれば数年は戦える位に家康は直したそうです。)。もしかしたら、岩手沢城を魔改造して、今日のような凄い山城にしたのが南条隆信かもしれません。また、伊達家には不思議なくらい待遇の良い外様武将がいます。それが鈴木元信、豊智政権下で伊達領が半分、三分の一とされた時期に1500石で召し抱えられますが、彼の取り分はそれだけで、一族含めると2万石位になります。実は彼こそが、南条隆信で、彼は1500石だけど大崎の残党に185000石を与えて、大崎宗家に忠義を果たしたのかもしれません(彼に関しては、雑賀孫一とも、雑賀孫一の一族とも言われており、雑賀孫市自体も一時期政宗の客将となり、後に水戸徳川家の家老となっています。雑賀衆は鈴木姓が多いので、その説が有力です。)
ちなみに鈴木元信は、片倉小十郎や茂庭綱元みたいに秀吉には直参のお誘いは来ていないみたいです。それは大崎一揆と関係しているのかもしれません。

結局のところわかんないですが、有名武将の偽名じゃないかというのが私の推察です。

質問した人からのコメント

2018/2/24 16:22:20

回答ありがとうございます。

周辺事情まで教えてくださり勉強になりました。

しかし「南条隆信」はほんとうに謎の武将ですね。
確かにでっちあげられた
存在しない武将なのかもしれません・・・。( ;_;)

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

ouh********さん

2018/2/1918:04:31

その人は全くわかりませんね。

大崎合戦の原因は大崎の家臣同士の争いです。

伊達家に駆け込んだ重臣の差し金で、半ば身内どうしの争いですから、さすがの政宗も手をこまねいたのです。

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