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クライフのバルサやカペッロのミランなど 当時を代表するクラブを破って世界一に...

nya********さん

2018/2/1919:39:40

クライフのバルサやカペッロのミランなど
当時を代表するクラブを破って世界一になった頃の
ブラジルのサンパウロFCについてシステムや選手など詳しく教えて下さい。

Wikiなどでは余り詳しく書かれていないのでよろしくお願いします。

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ベストアンサーに選ばれた回答

mis********さん

2018/2/1923:42:33

92年はなんといってもライー。
フォーメーションは4-4-2の左右非対称という感じ。

GKはゼッチ。代表の第2GKだった選手。

4バックはごく普通な形。
センターバックのロナウダン(ロナウド)は筋骨隆々のフィジカルモンスターという感じでとても目立つ選手でした。W杯後に清水に来ました。

中盤は低い位置にトニーニョ・セレーゾとピンタード。
セレーゾは91-92年シーズンの欧州チャンピオンズカップ決勝でバルセロナに敗れるとサンプドリアを退団して久しぶりに母国に復帰。既に37歳でしたが、運動量も豊富で本当に37歳かよって感じでした。
セレーゾが広範囲に動いて攻撃にも貢献する一方でピンタードは守備専門という感じ。この選手がミカエル・ラウドルップを潰していたと思います。ラウドルップがいい形でドリブルできないのでバルセロナの攻撃が十分に機能しませんでした。

右サイドハーフとしてカフー。サイドに張り付いて上下動を終始繰り返してました。
カフーによる右サイドからの攻撃が大きな武器でした。

ライーはトップ下。中盤の高い位置を自由に動く形。
イケイケの時期で、ジーコ以来不在だった10番の正統なる後継者として崇められていました。

ツートップは最前線にミューレル。セカンドトップのほうが得意なような気がしますが、このときのサンパウロではファーストトップを務めていました。
ガツガツゴールを奪うタイプではなく、何でもできる器用なタイプ。柏に一瞬だけ来ました。
相棒のパリーニャはやや下がり目で広範囲に動くタイプだったかと。
右サイドはカフーが上がって来るので、左サイドに動くことが多かったと思います。

守備はブラジルらしくゾーンディフェンス。
バルセロナの攻撃力を警戒していたからだと思いますが、ディフェンスラインは低めに設定されていたように思います。
攻撃は基本的にカウンターだったと思います。ボールを奪うとライーかミューレルに縦パスを入れてキープ。その間にカフーが駆け上がるという感じ。


93年はトニーニョ・セレーゾ大活躍。
フォーメーションは4-4-2。

GKは同じ。

カフーは右サイドバックに。センターバックはロナウダン健在。

中盤は詳細忘れましたが、レオナルドが高い位置にいてライーの後釜となっていました。ライーと違ってサイドに流れる動きが多かったような。
もともと左サイドバックの選手で、大会パンフレットか何かには左サイドバックで紹介されていたはず。94年W杯も左サイドバックで出場。W杯後に鹿島に来ました。稀代のテクニシャン。

ドリバ、ジーニョ、トニーニョ・セレーゾの位置関係は忘れました。3人とも中盤の低い位置で守備的な役割だったように思います。なお、ジーニョは94年W杯優勝メンバーで横浜Fに来たジーニョとは別人。

ツートップは92年のときと同じ。
ジュニーニョ・パウリスタが期待の新星だったときで、パリーニャに替わって途中出場しています。後年に比べるとパスの比重が低くてバリバリのドリブラーでした。

92年のときに比べると動きが大胆というか攻撃的だったような気がします。
打ち合いになって見ている側としては面白かったですけどね。

質問した人からのコメント

2018/2/20 19:59:42

詳細な回答ありがとうございました。
勉強になりました。

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