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8620型 蒸気機関車について かつて全国で見られた8620型ですが、実際客車だとど...

red********さん

2018/2/2504:07:44

8620型 蒸気機関車について

かつて全国で見られた8620型ですが、実際客車だとどのくらいまで牽引出来たのでしょうか?
花輪線だと33.3‰の急こう配で、単機3両と聞いたことはあります。

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2018/2/2510:10:54

SLの場合、平坦路と山岳路とで条件(牽引定数)が大きく違ってきます。
単機で33.3‰では3両も厳しかったではないでしょうか?

小海線のC56が小淵沢~野辺山間の急勾配で牽引してたのは客車2両でしたから、8620なら3両止まりだったでしょうね。
米坂線では9600型が客車4両を牽いて「手の子越え」をしてました。

昭和40年代のSLブームの頃には、既にC58型といった「8620代替機」がありましたから、8620が4両牽引で平坦路を走る光景は既に見られなくなってましたね。

C58型が、国鉄時代の石北本線急行「大雪6号」上/下共(10両)を、北見⇆網走間で牽引してましたから、8620でも条件が整えば8両は牽けたでしょう。

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ベストアンサー以外の回答

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2018/2/2509:53:19

いや1960年代、平地では5-6両編成の客車列車を曳いていましたよ。
列車の表定運行速度が遅かったので、平地ならそれでよし、です。

急こう配線のある山岳地帯では重連や補機をつけて運行していました。
今ほど橋梁の耐荷重計算を真剣にやっていませんので、へいちゃらだったんでしょう。

1966年に花輪線の客車にも盛岡から乗りました。
切り離しのための連結手か乗っていて、山間地帯に入ると、最後部の客車を次次と落として、竜が森へ登って行くので、ニ三度、車両を乗り移った記憶があります。十和田南に付いた頃は3両ぐらいだったでしょう。

tec********さん

2018/2/2505:30:25

勾配だと非力です。
現代のあそboyやSL人吉が3両なのも同じ理由です。

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