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三国志の郭嘉って何がすごいんですか?

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ID非公開さん

2018/4/818:51:01

三国志の郭嘉って何がすごいんですか?

下邳水攻めの進言も荀攸に追従した風に見えました。(そんな風に見えただけです)

袁兄弟の仲違いを誘うための南征も、もっと効率の良い陽動はなかったのでしょうか?

白狼山でも輜重を持たせず軽装のままの曹操を敵地に放り出して危難に合わせました。張遼がいたから良かったものの。


なんか郭嘉の進言ってフワッとしてる印象があるのですが、私の意識過剰でしょうかね

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vit********さん

2018/4/1320:08:29

出典を出して長々詳しく書いてましたが間違って削除してしまったので概略だけで。。。

荀彧伝、荀攸伝を普通に読めば、一連の華北争奪戦とは豫州潁川の名士と汝南名士の代理戦争であり、郭嘉はこれら潁川郡の先輩達のサポート役になります。曹操に近侍し意思疎通をするというのも訓練です。いうなれば荀攸の後釜としての中軍師見習いなので、発言や献策が荀彧荀攸より後発し重複することは当然で「荀攸>郭嘉」という関係は組織的に絶対です。仕事も戦後処理なので。

曹操「郭嘉だけが私の考えを知っていた」ええ。そもそもそういう仕事です。

郭嘉がふわふわして見えるのはそういうポジだからで、孫策の所にいればもう少しハッキリ輪郭が出てきたのではないでしょうかね。政治機構のない劉備勢力に陳羣がぼんやり無駄にいるのと同じで中軍師がいる中で軍師祭酒がいても存在価値があまりないのです。

諸葛亮の北南両伐を馬謖が計画していたように、荀攸の「秘策12偏」が実は郭嘉と練ってとかなら郭嘉の評価も上がりますが、荀攸が死なない限り郭嘉の存在価値はあまりありません。郭嘉も確かに優秀ですが曹魏の幕僚陣は層が厚すぎます。後世の「郭嘉すごい」は演義の影響。佳人薄命の贔屓。傅子の偏向。これらの総合です。

ただ白狼山などはそもそもこんな場所に曹操自身が遠征している時点で常軌を逸して危険なので、曹操の安全や兵站を言うなら今更という感じです。曹操が放り込まれたというより曹操が田疇にコネクトして飛び込んでいますので、諫議大夫董昭からすれば「殿ご乱心」レベルでしょう。軽騎追撃は実際残党にいち早く追いつき終わらせたい曹操ありきの献策でしょう。この頃の曹操は最前線指揮官でもあった光武帝を意識しすぎです。

史料の翻訳に意味がないと言いつつ傅子の記述を出して「郭嘉すごい」を言う下記回答にちょっと笑ってしまいましたwちなみにそのYouTubeはドラマ三国志演義の紹介VTRです。二個目のは歴史番組の名将紹介なので有名な諸葛亮を引き合いに出して郭嘉との共通点を言っているだけで正史以上の事を言っていませんので。

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    質問者

    ID非公開さん

    2018/4/1320:32:09

    回答が消えた時は焦りましたww

    『傅子』の正確性にはいつか言及しようと思っていました。伝のなかの注釈書の種類が少ないとどうしても怪しく見えてしまいますよね。実際いかがわしいですし。


    そうでした、荀攸が中軍師でしたね。役割が被ってることまでは気が回りませんでした。私も史料の読み込みが浅いと感じました。


    >郭嘉も確かに優秀
    と仰っていますが、やはりあの荀彧に推されただけある、というのが理由でしょうか? それとも官渡後の進言諸々? 下につらつら書いたように郭嘉の献策は凡手や、ともすれば悪手に見えるのです。
    良かったらお答えください。

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2018/4/14 12:23:20

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tok********さん

2018/4/1115:30:40

通常、国家や曹操にとって大事な計略の話しは密室で行うので郭嘉が進言していても記録は残らないでしょう。
会議のような場所で郭嘉が言ったとか郭嘉の計画だとはっきりと判るものだけが記録で残っています。

孔明が劉備に進言したことや、周瑜や陸遜が孫権に進言したこともなども具体的なものはほとんど記録が無いです。

三国志正史にも計略などの細かなことは、はっきりと判ること以外はほとんど書かれていません。

曹操が袁紹を破って中原の覇者になったというのが郭嘉の大きな功績です。
袁紹戦後、ほとんど右肩上がりで曹操の勢力圏は国力を上げていき盤石なものになっています。

郭嘉がいなければ曹操は袁紹に負けて死んでいたかもしれませんし、勢力が小さくなって他の勢力に倒されていたかもしれませんし、曹操が死んでいたら、三国時代・三国志自体が無かったかもしれません。



郭嘉について。
戯志才が死んだあと計略を相談できる相手がいないということで荀彧に相談し、人物評価能力の高い荀彧が郭嘉を推挙しています。

曹操は郭嘉を召し出して天下のことを議論し、「予に大事を完成させてくれるのは、間違いなくこの男じゃ」と郭嘉の能力を認めています。

郭嘉は深く計略に長じものごとの真実をつかんでいた。
曹操は「奉孝(郭嘉)だけがわしの意図をよくわきまえているといえる」といっていた。

曹操は郭嘉の葬儀に臨席し深くかなしみ、荀攸らに対し「天下のことが済めば、後事を彼に託そうと思っていた」といっています。


曹操だけでなく荀彧にも郭嘉の計略の能力は高く評価されていたわけですが、曹操陣営で郭嘉以上に計略の能力を認められた人物や、信頼して曹操がそばに置いていた人物は他にはほとんどいません。



中国語なので何を言っているかはわかりませんが、漢字と説明パネルなどから判断すると、中国では郭嘉の評価はものすごく高いようです。

三國第一軍師 「郭嘉不死、諸葛不出」
https://www.youtube.com/watch?v=BvB0PySDlQI

https://www.youtube.com/watch?v=oXSSsu3-gyI&list=PLAA47AE84921A7E30...

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kum********さん

2018/4/1108:20:18

ghwws091_02250さんやakitukinoranさんのおっしゃる通り、若死にしたのと曹操の期待が高かったことが原因でしょうね。

後は下邳水攻めは確かに蛇足感がありますが、孫策の死の予言とかその辺りも関係していると思います。むしろ孫策に関しては郭嘉が後ろで糸引いてたんでね?と思わせる怖さがあります。

それともう一つ若死にと関係ありますが、郭嘉が陣営に加わって亡くなるまでは、ほぼ曹操陣営は無敗だった、と言うのが大きいでしょうね。孫策死亡の予言も含めて、何となく彼の進言はパーフェクトだったと言う印象を受け易い。

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aki********さん

2018/4/820:12:56

俺は郭嘉好きですね〜
何がすごいかって?
あの曹操が「郭嘉が居れば赤壁で負けなかった」って言い切るところですかね。言い切るあたり未来予知でもできたんじゃね?

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ghw********さん

2018/4/819:07:10

三国志の郭嘉は、若死にで、その惜しまれる分がプラスαされている様に感じます。

38歳の時、柳城から帰還の後、病を得てそのまま死去しました。

その死に際し曹操は「哀哉奉孝、痛哉奉孝、惜哉奉孝(哀しいかな奉孝、痛ましいかな奉孝、惜しいかな奉孝)」とも言ったという。

曹操は郭嘉の死を大変悲しみ、葬儀において荀攸らに向かって「諸君はみな、わしと同年代だ。郭嘉ひとりがとび抜けて若かった。天下泰平の暁には、後事を彼に託すつもりだった」と残念がった。

曹操は献帝に上奏し、その遺領を800戸を加増し、合わせて1000戸とした。貞侯と謚され、子が爵位を継いだようです。

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