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邪馬台国が九州になかったという説の根拠を教えてください。 九州以外だからと...

oka********さん

2018/4/2801:03:57

邪馬台国が九州になかったという説の根拠を教えてください。

九州以外だからという説は不可です。

当然、九州だからという説や、コピペあおり回答は厳禁です。

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ベストアンサーに選ばれた回答

knn********さん

2018/4/2807:24:54

「邪馬台国が九州になかった説」という説を聞いたことはありませんので、邪馬台国九州説を非とすることになるでしょうね。

既存の九州説は論理的・合理的でないと思っています。

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質問した人からのコメント

2018/5/4 02:32:38

要点をまとめたご回答ありがとうございます。

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yos********さん

2018/4/3010:27:53

邪馬台国と同時期に物部王国が畿内と国東半島を中心とする九州北部を支配していました。

同じ場所に邪馬台国があるはずがなく、また物部王国は強力な軍事国家であったため物部王国を飛び越えて魏との使者の往来は不可能です。

少なくとも国東半島よりも東と南には邪馬台国は成立し得ません。

邪馬台国が成立し得るのは九州本島ではなく、壱岐・対馬を中心とした島嶼部でしょう。

ama********さん

2018/4/2822:54:44

邪馬台国の主要産物に丹が上げられます。
日本列島における「丹」の産地は中央構造線に沿って分布する水銀鉱床群であり、採石・採掘など三世紀の開発と言う観点からすれば、「其山」とは大和水銀鉱床群・阿波水銀鉱床群の山岳地帯があてられます。実際、阿波水銀鉱床群の山岳地帯に徳島県若杉山辰砂鉱山遺跡は位置しており、「其山有丹」の一つに数えることができますね。
「丹」の生産の観点から見れば「魏志倭人伝」に言うところの「邪馬台国」の特徴である「其山有丹」の候補地は阿波か大和に絞られますね。
魏志倭人伝によると、まず「魏」より「丹」を賜り、今度は倭国より「丹」を献上したということが分ります。
3世紀前半「丹」を献上できたのは、大和か阿波。

この時点で九州説は却下されますね、いいですか。
丹を赤土だという馬鹿がいるがそんなのどこでもとれるわけでわざわざ倭人伝に書く必要もなく、赤土を魏に献上すれば 何もってきとんねん!!って怒られます.(笑)

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him********さん

2018/4/2822:37:28

畿内説の唯一の根拠らしい根拠は歴博土器のスス焦げのc14炭素年代です。
それによって、箸墓古墳の周濠から出土した布留1式土器の年代を調べたら24、60年代の築造と出たので247年頃の死亡である卑弥呼の墓にピッタリだ、即ち邪馬台国は九州ではない、言うのがその根拠ですね。
あと、光谷拓実氏の年輪年代論ですね。
箸墓古墳に先行する勝山古墳から出土したヒノキ材が年輪年代測定したら、伐採年199年と出た。辺縁部の削除量を見積もってもその伐採年は210年を下らない、と言うものです。
従来説では300年代の古墳と言われていたものが200年代初頭で良いと言うことになるので、箸墓古墳に先行するこの古墳が200年代初頭なら、箸墓古墳も24、60年代でも矛盾しないじゃないか、いや、むしろ、歴博のスス焦げ炭素年代の正しさが、年輪年代論によっても支持されたのだ、と言うのが畿内説の根拠ですね。
両方とも大嘘ですが。w

他には、三角縁神獣鏡が畿内を中心に同心円状に分布し、その中には景初三年と言う卑弥呼が魏に使いを送ったと言われる年代が入っているものもあるため、これこそが卑弥呼が魏からもらった銅鏡である、と言うのがあります。
今はすっかり見向きもされなくなった主張ですが。

(以下、畿内説への反論になりますが)
魏から同類の銅鏡は1個も出土しませんからね。
それに、箸墓古墳に先行する古墳群から一個も出土しません。
卑弥呼の墓が箸墓古墳なら、卑弥呼が生きている間に魏からもらった銅鏡を支配下の首長らに配布したハズなのに先行する古墳群から一個も出てこないのでは説得力がありません。
出てくるのはずっと後のじだいの古墳からのみです。
箸墓古墳直前と見られるホケノ山古墳からは三角縁神獣鏡どころか、魏の敵国の呉系の鏡と言われる画文帯同向式神獣鏡が出土したのですから、お笑いです。 と言うか、三角縁神獣鏡自体が呉系と言われており、呉が滅亡した後(280年)に呉系の工人が中国各地や日本などの外国に拡散して作られた鏡でしょう。鉛の成分がまるで違いますしね。

他には、隋書倭国伝に、ヤマトは古の魏志の言うところの邪馬台である、と言うのがあります。(が、その後の書である、新唐書では、倭王は元、筑紫城に居た、とあります。)

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