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はじめまして。モニカと申します。ポーランドの日本学科の学生です。今、卒業論文...

mon********さん

2018/5/703:35:58

はじめまして。モニカと申します。ポーランドの日本学科の学生です。今、卒業論文を書いている途中です。テーマは南京事件に決まって、まだよく調べられていないテーマだと思っていますので、南京事件について、日本

人の観点をもっと詳しくに知りたいだと思います。
このテーマは微妙ですが、欧米の本には間違いところがたくさんであると思います。ですから、私の卒論の中には日本人の意見についても書きたいだと思います。
もし、よろしければ次のアンケートを記入していただければ感謝です。
お問い合わせことがあったらメッセージを送ってください。
よろしくおねがいします。

https://www.interankiety.pl/i/37f2eff9c2f6347a3...

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xxy********さん

2018/5/1121:34:57

南京事件については日本「南京」学会が虐殺は中国側のプロパガンダで捏造されたものであるという論文を発表されている。

さらに、立命館大学名誉教授の北村稔氏は「諸君!」平成14(2002)年6月号で、「南京事件」ーー虚構の確認という題名の論文を発表して南京事件は

「日本の戦争犯罪を裁く中核にしようという政治目的により立ち上げられた虚構」

と断じている。

http://www.history.gr.jp/nanking/books_shokun0206.html


最近では、南京事件は中国側のプロパガンダである証拠が次々と明るみにだされて

南京事件は虚構であるという意見が学会では常識になりつつあるが、日本のマスコミが左翼的で日本軍は犯罪者であるという「宣伝」をしているために、一般的には浸透していない状況である。

しかし、ネットには大学教授が論文を公開されているために徐々に理解され始めている。

http://www.ne.jp/asahi/unko/tamezou/nankin/alleged/chapter2-1.html

結論的にいえば、南京事件は中国国民党が南京にいた外国人たちの協力のもと政治的な目的で捏造された「事件」であって、個人的な手紙や戦後の中国当局の調査などをみれば住民殺害の証拠は何もない。

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jim********さん

2018/5/1311:41:26

日本語上手ですね

リンク切れでアンケートに書き込めない
WIKI日本語版は

日本軍による南京城市陥落(12月13日)の前後に、日本軍の攻撃や掃討や暴力行為に巻き込まれた市民が少なからず存在したとされる(城外を出て長江を渡って逃げる途中の市民(婦女子も含む)が兵士とともに銃撃を受けて殺された証言、日本兵による攻撃や暴力で殺害された証言(新路口事件)がある)[25]。

ただし、日本軍の南京占領が確定して戦闘が終結した後は、その後も捕虜・敗残兵の組織的虐殺はあったものの、城内の一般民間人への虐殺は過大にならなかった。その理由として、秦郁彦は、南京市陥落前から欧米の宣教師らが組織した南京安全区国際委員会の南京市内の#南京安全区へと[26]、生き残った多くの被災民が避難し、その後一般市民が欧米人の国際委員会側に守られたことを指摘する[27]。

南京安全区国際委員会のメンバーによるスマイス調査によると、南京市部(南京城区)での日本軍による民間人の殺害・拉致後殺害は計6千6百人と推測されたが、別途1万2千人という推測値も示している。

南京城市とその周辺ではなく、広大な農村部を中心とした地域においてもスマイス調査によると2万6千人以上の犠牲があったとされるが、これも南京事件の被害に含める見解もある(笠原十九司等)[28]。


このWIKIくらいが平均的日本人の見解で
南京虐殺がなかったと言っているのは
安倍の手下の歴史修正主義者(反米保守)ですね

入城のとき 民間人誤殺や 暴行はあったらしいが
市民の多くは安全区に避難して助かった

ただ投降した中国兵は 戦時国際法に反して
殺された兵士が数万はいたらしいという理解じゃないかな


ただ、日本は田中角栄の頃 1970年代に謝罪して賠償ODAを
出していて
ポーランドのシロンスク炭田に相当する
中国の山西省の大炭田地帯から海までの
石炭輸送鉄道と石炭積み込み港湾を日本が建設して
中国はその石炭で沿海大都市の製鉄所と石炭火力発電所を
動かして 工業化に成功して 今でも中国のエネルギーの
大動脈だけど 中国政府は南京虐殺記念館のことは宣伝するが
日本の賠償ODAの大秦線のことは国民に秘密にしているよ

石炭輸送鉄道引いたからって 殺された兵士が生き返る
わけじゃないのはわかるが 先祖がやった虐殺に
子孫の我々は中国に賠償して誠意は尽くしているし
それ以上のことは勘弁してほしい

sou********さん

2018/5/1311:10:55

◆南京攻略戦司令官・松井石根大将の証言
「(大虐殺は)公的報告を受けたことがなく、終戦後米軍放送で初めて知った」
「巡視の際、約20人の中国兵戦死体を見たが、市内の秩序は概ね回復した」
「南京入城後、非行事実を憲兵隊長から聞き、各部隊に調査と処罰をさせた」

◆上海派遣軍 参謀・大西一 大尉の証言
Q.上海派遣軍の中で虐殺があったという話はありませんでしたか?
「話題になったことはない。第2課も南京に入ってからは、軍紀、風紀の取り締まりで城内を回っていました。私も城内を回った」

◆松井軍司令官付陸軍通訳官・岡田尚氏の証言
降伏勧告文を翻訳し、軍使に加わる。
「城内には死体はありませんでした。ですから一般市民に対しての残虐行為はなかったと思います」
「火事があったとよくいわれますが、私には記憶ありません」
「捕虜の話は聞いています。下関で捕虜を対岸にやろうとして(中略)その渡河の途中、混乱がおきて、撃ったと言うことは聞きました」

◆上海派遣軍特務部員・岡田酉次少佐の証言
「あの南京攻略戦を見てますと、中国軍の中には女がいました。私も女の中国兵が倒れているのを見ています。また敗残兵といっても抵抗するのもいたし、便衣兵というものもいて、これらがやられるのを見ました。これらの屍があとで虐殺と言われたのではないでしょうか。」

◆野砲兵第22連隊長・三国直福大佐の証言
「昭和13年8月にまた南京に戻ってきました。この時も虐殺があったという話は聞いていません。もう日本人の商人もたくさん来ていました。南京の街は朗らかでした。町の人とも親しく話しましたが、その時も、中国人からそんな話(虐殺)を聞いた記憶はありませんでした」

◆第十軍参謀・谷田勇大佐の証言
「(昭和13年11月以降、私が担当していた課は、支那復興のため)南京での経済指導を行なうので、寸暇もないほど多忙であった。したがって課長以下、日中官民と接触して、これを理解し、かつ中支那の風物に親炙(しんしゃ)する機会がはなはだ多くなっていった。この時、中国官民と親交を重ねたが、たとえ酒食の席においても南京虐殺に関する話を聞くことはなかった」

◆南京戦参加の陸軍第114師団歩兵第115連隊小隊長・西山源次郎少尉の証言
「最近部落での評判が大分いいのです。示威行軍に行っても皆出迎えてくれるほどなのです。日本軍は税金も取らないし、品物も買ってくれると…
支那兵は毎日食い物をもらいに来る。応じなければ銃殺されることもある。税金はむやみに取る。出さなければ女や子供を人質に取る。こんなやり方をするのだから嫌われるのも当たり前です」

◆西山源次郎さんの息子さんは、南京で虐殺があったとされる話についてこのように証言してます。
「父の日記からはその形跡はうかがえない。物理的に30万人を虐殺するのは無理だ。戦後の大きな風潮のうねりの中で、歴史の歪曲に染まってしまった」

◆海軍第12航空隊・原田要3曹の証言
「とても戦争中とは思えなかった。南京は誠に和やかに尽きる、という印象でした」
「便衣兵はゲリラ。接近してきて日本軍がやられる恐れがあった」
「何十万人もの大虐殺は信用できない。もし、大虐殺があれば、中国人はわれわれに和やかに接しただろうか」

◆第9師団歩兵第36連隊・近藤平太夫伍長の証言(12月20日ごろの南京の様子)
「露店が何軒か出ていて、日本兵相手に商売をしていた。靴修理店、散髪屋などだった」
「露店で印鑑を作り、城内は極めて平穏だった」
「住民が平和に商売をしている一方で、毎日たくさんの人が虐殺されているというようなことは全く考えられません」

◆陸軍第16師団の獣医・稲垣清少尉の証言(12月16日に南京入城)
「入城して2~3日後、住民の姿をみかけるようになり、時計の修理のため時計屋を訪れた」
「3回ほどサイドカーで城内をくまなく見て回ったが、遺体や虐殺の痕跡は目にしなかった」

◆陸軍第36師団歩兵第224連隊の内貴直次少尉の証言
内貴さんは平成18年に94歳で亡くなるまで虐殺説に反論していた。
「南京に入ったのは攻略戦から6年後。街は商店や人であふれ、平和な様子だった。もし、大虐殺があれば、住民の恨みを買い、われわれは平穏に駐留できなかったはずだ」

◆陸軍少尉・和田泰一さんの証言
「当時の記録を読めば事実は別にあることは明らかなのに大虐殺説を許してきた私たちの責任も大きい」

◆第6師団・城光 宣さんの証言
「城内は空っぽでした」
「女や子供、年寄りの遺体はみたことはなか」
「30万人も虐殺したというのはでっち上げですたい。人がおらん以上、虐殺があるはずがなか」

◆昭和12年12月14日に入城し、すぐに城外で宿営した陸軍第6師団歩兵第13連隊・古沢智伍長の証言
「敵兵は1人もおらず、城内はガランとして人影がなかった。100メートルほど行くと、1人の老婆が紙で作った手製の日の丸でわれわれを歓迎してくれた」

◆安全区で掃討、警備を担当した陸軍第9師団歩兵第7連隊・喜多留治伍長の証言
「12月14日ごろには(城内に)散髪屋や立ち食いそば屋など、早くも住民が商売を始めていた」

◆堺市在住の元海寿祐さんは、日中戦争で出征した父、寿一さん=平成2年に72歳で死去=から便衣兵に出くわした体験談を聞いたことがある。
寿一さんが出征先で仲間と歩いていて、怪しい中国人の男を呼び止めた。男は便衣兵だった。走りながら腋の下から銃口を向け、仲間が撃たれて負傷した。
元海さんは「父は戦場の現実は悲惨なものだと言っていた」と振り返り、南京事件についてこう話した。
「『大虐殺』で言われるようなことをやればすぐ情報が広まる。(将兵は)処分されるはず、と大虐殺説を否定していた」

◆東京日日新聞・佐藤振寿カメラマンの証言
Q.虐殺があったといわれてますが?
「見ていません。虐殺があったといわれますが、十六、七日頃になると、小さい通りだけでなく、大通りにも店が出てました。
また、多くの中国人が日の丸の腕章をつけて日本兵のところに集まっていましたから、とても残虐な殺しなどがあったとは信じられません。」

Q.南京事件を聞いたのはいつですか?
「戦後です。アメリカ軍が来てからですから、昭和二十一年か二十二年頃だったと思います。NHKに『真相箱』という番組があって、そこで南京虐殺があったとの放送を聞いたのがはじめてだったと思います。」

◆都新聞記者・小池秋羊氏(12月13日入城)の証言
「城内はどの家も空き家で、物音一つしない死の都市でした。犬・猫の姿一つ見受けられず、不思議な妖気が漂い、街路は激戦の跡とも見受けられない整然とした街並みで、びっくりしてしまいました」

Q.南京で虐殺の話を聞いたことはありませんか?
「ありません」

◆読売新聞・技師 樋口哲雄氏の証言
「自転車を持っていたので、毎日あっちこっちに行きました」

Q.その頃、日本軍による虐殺があったと言われていますが?
「どこで何があったのか知りません」

Q.見たり聞いたりしませんか?
「全然解りません。だいいちそういう形跡を見たことがありません。あったとよく言われますが、どこでどんなものがあったのか。中山陵など荒らされていないし、きれいでした。やらなきゃこっちがやられるからやったのを虐殺といっているのだと思います。」

◆東京日々新聞カメラマン・金沢善雄氏の証言
「戦後、この時、何万人かの虐殺があったといわれていますが、不思議でしようがないのです。私は南京をやたら歩いていますが、虐殺を見たこともなければ聞いたこともありません」

「ここ(南京)には1ヶ月ほどいましたが、戦後言われているような事は何も見ていなければ、聞いてもいません。ですから虐殺があったと言われていますが、あり得ないことです。松井大将が絞首刑になったのも不思議でしょうがないのです」

◆読売新聞・上海特派員 森博氏の証言
「住民は敵意を持っていなかったし、日本兵を怖がってもいなかったと思います。逆に、便衣隊がいましたので日本兵の方が中国人を警戒していました。」

◆報知新聞カメラマン・二村次郎氏の証言
Q.南京虐殺ということが言われていますが?
「南京にいる間見たことがありません。戦後よく人から聞かれて、当時のことを思い出しますが、どういう虐殺なのか私が聞きたいくらいです。私が虐殺の話を聞いたのは、東京裁判の時です」

◆第10軍参謀・金子倫介大尉の証言
「南京に入ったのは13日か14日だと思います。城内では一人の死体も見ませんし、一発の銃声も聞きませんでした」

Q.それでは、そのころ南京事件は聞いたことがなかったのですか?
「ええ聞いたことはありませんでした。戦後東京裁判で聞いてびっくりしました。何か隠しているとか、言い渋っているとか言うことではなく、本当に南京では何も見ていません。南京では印象に残るようなことはなかったのでしょう」

◆領次官補・粕谷孝夫氏の証言
Q.南京の様子はどうでした?
「普通でした。特別なことはありませんでした。店は開いていますし、日本の商人もいました。虐殺とかそういうことはありませんでした」

◆第10軍作戦参謀・吉永朴少佐の証言
Q.南京では大虐殺があったと言われていますが?
「私は南京大虐殺はなかったという信念をもっています。中国市民は逃げ足が速く、ほとんど逃げています。残っていたのはわずかです。また、中国軍を何万人も何十万人もやったとするなら、並べて機関銃で掃射するとしても、とてもできないことです。何十万人といったら押し合いへし合いで、歩けはしない人数です。しかし、南京にそんなに人はいませんでした。南京大虐殺は白髪三千丈式に、後で中国人が言っていることです。私の判決は、虐殺はなかったということです」

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kon********さん

2018/5/1304:52:42

南京事件について、以下のHPなどが参考になると思います。

南京事件はうそだ。

http://www.history.gr.jp/nanking/

jjy********さん

2018/5/704:26:01

戦争だから中国軍兵士、それに加担した市民を処刑したと思うよ。

アメリカだってファルージャで虐殺してるし、ソ連もカチンの森でポーランド兵を虐殺してる。

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釜蔵博夫さん

2018/5/703:48:50

太平天国の首都だった天京で戦闘が起き、守備隊は全滅、住民は虐殺されました被害者は20~30万になりました。

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