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宇喜多秀家は父親の宇喜多直家に比べたら謀略や才覚が無かったですが、豊臣政権の...

got********さん

2018/5/1412:07:15

宇喜多秀家は父親の宇喜多直家に比べたら謀略や才覚が無かったですが、豊臣政権の五大老に就任しましたし、朝鮮の役では軍監として大陸に渡り、更には関ヶ原の戦いでは福島正則とぶつかり西軍の中では戦いましたし、

秀吉のコネだけでは無くて覇気や威風はあったと思いませんか。

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ベストアンサーに選ばれた回答

2018/5/1418:48:52

その通りです。 しかし、目立つ戦さと言えば関ヶ原だけ。20代の若さで長生きしたにも関わらず逃亡と流人生活に入ったのは余りにも、もったいない。
だから今一つ名将としてのイメージを残してません。
もし、毛利輝元が大阪城に籠って全国の西軍に檄を飛ばしていたら、まだまだ天下がどう転んだか、判りません。
案外、秀家が天下を取ったかも。
負け戦さにせよ、秀家も大活躍の末討ち死にしたなら、納得の行く人生だったに違いありません。

質問した人からのコメント

2018/5/20 21:46:43

長い人生が流人生活でしたが、彼は恐らく流人生活が幸せだったと思います。

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

2018/5/1510:30:36

(ΦωΦ)宇喜多秀家さんが謀略を、ふるう必要ない太閤秀吉公や黒田如水さんが上手にやってくれる。

受け売りだが戦国大名ではなく豊臣家の軍事官僚で、軍事に特化した立場の人だったという意見がある。

政治的な問題処理は、秀吉公や五奉行に丸投げだったのでは?宇喜多家には、政治的に家の保身をはかり相談できる家来がいなかったのかもしれませんね。

関ヶ原の敗戦後の逃亡は、行動選択が普通の大大名なら頭をまるめて坊主になり、速やかに大阪城に出頭、保身のための根回しを家来がやっていたとしても、おかしくないのです。

関ヶ原の戦いぶりを考え宇喜多秀家さんは、戦国大名ではなく時代を先取りしすぎた、有能な軍人でしたという事になります(笑)

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